ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜 8
第二章 宿命の恋人 @
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マリアとユーディトが生きていた時代は今から八十年ほど前だということが歴史書をひもといたおかげでわかった。
ヴィシュタールの言語は前世の記憶があるせいで不自由はしないが、本を読むのだけは苦労させられる。もちろん字を忘れてしまったわけではない。ただずっと触れていない言葉だから読むことに時間をとられてしまうのだ。
『あれから、自分とユーディトが死んでから、王弟シグリルと父、侯爵はどうなったのか』という、前世を思い出してからの最大の疑問を解くために書庫にやってきたのだが、どうも思ったようにはかどらない。
まだヴィシュタールが存在するということは、二人の野望は達されなかったということになるのだろうが・・・・。
まず王室の系譜を探る。だが、そこにあるべきシグリルの名前が見当たらない。
ならば、その理由として考えられることはただ一つ。彼は謀反か、それに準じたことをして系譜から削られたのだ。
も、しシグリルのことを詳しく調べたいなら、この宮の書庫ではなく王宮の書庫に出向かなくてはならないだろう。あの王族のみしか入室が許されない書庫なら、正史から抹殺された出来事も記録されているはずだ。
ユリアが重たい本を苦労して棚に戻していると、まるで時を計ったようにカーライトが書庫の扉を叩いた。
迎えに来たカーライトとともに簡単な夕食をすませると、マイヤが取り計らってくれた国王との謁見へと向かう。
(まさかな)
くだらない考えに捕らわれてしまう。
いや、違う。
もし、そうであるなら、マイヤは真っ先にそれを告げたはずだ。
ダマーン一世があの父の生まれ変わりかもしれないと考えるなどと、あまりにもばかげている。
(わたしは怖いのだ。
あの二人にもう一度会うことが。怖くて堪らないのだ)
ユリアは頭を大きく振ると、自身の小心を追い払おうとする。
けれど、ふとカーライトのもの問いたげな視線を感じて振り返った。
「どうした?」
「ユリア様。ドレスをお召しにならなくてよろしかったのですか?」
カーライトは気になって堪らないといった様子で聞いてくる。
「ああ。いいんだよ、これで。
わたしが王女ではないことが交渉を有利にする鍵だ」
ユリアは謎めいた返事を返してよこした。
ダマーン一世が迎えによこした侍従が先触れをするため、謁見室の扉を叩く。
入室が許されるのを待ちながらユリアは、この大きな扉が自分の前に立ちはだかる、一番目の障害のようで心躍るのを感じた。
だが、自分の予想ではこれはたいした障害にはならないはずだ。
謁見室の扉がユリアの眼の前で大きな音を立てて開かれた。カーライトを伴ったユリアは扉のなかへと飲み込まれていく。
そこでユリアとカーライトを待っていたのは、最近益々太りじしになった国王と“紅の占者”だった。
カーライトは扉脇に控えて、主が王に対面するのをみつめた。
(似ていないな)
と、カーライトは目の前の国王を見てあらためておもう。半年ぶりに会った国王は、王女との血のつながりを全く感じさせない。
勿論、男には王としての威厳がある。
けれど、この男は自分の仕えるべき主ではない。
ユリアにあの金の瞳で見つめられた瞬間、自分は生涯の主を定めたのだ。
そして、仕えるに足る主に出会えた自分は、なんと幸せなことだろう。
カーライトは自己が主がなんの恐れもなく、玉座に進んでいくのを見つめる。
ゆったりとした歩みにしたがって流れる長く美しい髪。いくつものランプに照らし出されて輝く金の瞳は、ユリアを神の眷属にさえおもわせる。
カーライトは彼女から発せられた黄金の光がみえたような気がして、その眩しさに思わず眼を瞑った。
刹那、ユリアがマイヤの装束のままでいた理由に気づかされる。
彼女が纏っている男物の衣装は若さを理由に侮ることを許さない、大人びた中世的な人物にユリアを演出している。
ユリアは自分という女優を際立たせるための演出家であり、最高の見せ場を作り出す脚本家でもあるはずだ。
彼女は今まさに時代という舞台に立った。ユリアは自分の役を終えるまで、自ら舞台を降りることを決してしないだろう。
ユリアは玉座に腰を下ろしている王の前に進むと、軽く頭を下げて会釈をした。
その会釈は眼の前の男の地位に対してしたものではない。それならばユリアは礼をとっていたはずだ。彼女は初めて会った目上の人間に人として挨拶をしたのだ。
「ダマーン一世。初めてお目にかかる。
わたしはユリア。上條ユリア。
神によってこの世界に呼び出されたものだ」
国王はユリアの挨拶に驚愕して眼を瞠ると、片手ですばやく侍従を追い払う。
「よくきたな。異世界の旅人よ。
今日は何用かな?」
ダマーン一世は当初ユリアに押されぎみだったが、自分が王だということを思い出したのだろう、冷静な声で挨拶を返してくる。
「いや。たいした用件ではない。
わたしはただの異世界人。そんなわたしに王女の役目などつとまるわけがない。
帰してくれとはいわぬ。この王宮から放っていただきたい」
今、話題となっているのは今日の天気だったろうか?そう思えるほどユリアは穏やかな顔で国王に難題を突きつけていた。
「・・・・・・!」
王はもはや自身の驚愕を隠すこともできず、そのまんまるとした顔に浮かんだ汗をしきりに手巾で拭っている。
「ユリア殿。そこをまげてご承知いただけまいか」
「わたしなどに未来の国王は荷がかち過ぎる」
長い睫毛を伏せたユリアは落ち着き払っていて、これではどちらが王かわかるまい。
「あなたの前世はヴィシュタール人と聞く。しかも侯爵家の跡継ぎとか。
ならばこの国の王となってもさして問題はあるまい。
マイヤもそなたを王の器と絶賛しているのだから」
国王は最後の頼みの綱とばかりにマイヤにしきりと合図をする。
しかし、“紅の占者”は自身をオブザーバーと心得ているようで、その唇は王が願ったように開かれない。
「王よ。そこまでわたしをお望みか?」
ユリアの金の瞳が穏やかに国王を見つめていたが、それでも、ダマーン一世はそれをはねのけることができなかった。同じ色を纏っている男が人ではないからだ。
「そなたが次代の王になってくれねば、わしはヴィシュバーンの怒りを買う。
そればかりでない。このヴィシュタールもやがて滅んでしまうだろう」
「ダマーン一世よ。
ヴィシュバーンの末裔は王女ばかりではない。
そちらにまわしてはいかがかな?」
「それはできぬ。
神の選定を受けた世継ぎは決して病むことはないが、死なぬわけではない。
もちろん、そういった際には次子がたつこともある。
だが、そなたにいたっては、代わりはないのだ。
その理由は明かせぬが、聞き分けてくれぬか」
ダマーン一世は縋るようにユリアを見つめた。
もし、彼の体がもう少し軽かったら玉座を立って、ユリアの手を強く握り締め懇願していたかもしれない。
「・・・・・・・・」
ユリアは考え込むように右手で眉間をつかみ、身じろぎもしない。
暗く重厚な北欧風の家具ばかり集められた部屋を重苦しい沈黙が支配する。
この場で最初に声を発したほうが敗者となる。それはこの会見の初めから決められていた定めだったのだ。
案の定、沈黙に耐え切れず口を開いたのはダマーン一世であった。
「ユリア殿。あなたが次代の王となるには、何か不都合があるのであろうか?
もし、そういった望みがあるならばいってはくれまいか」
それは、ユリアが待ち望んだ瞬間だった。
こちらから王に取引を持ちかけても勝てる自信はあった。だがその場合、安く買い叩かれる危険性が若干残る。
自分はこの賭けに決して負けてはならないのだから、少しの危険も回避するべきなのだ。
「わたしは未熟者だ。
わたしを支えてくれる共同統治者の存在があればあるいは・・・・・」
「そなた、自分の権力を誰ぞに分け与えるつもりか?」
ダマーン一世の瞳が驚きに見開かれる。
この国は長子相続を旨としている。
勿論、ヴィシュバーンのおめがねに適わなければ、王位につくことはできない。だが、神に一度(ひとたび)王と選定されれば、配偶者を共同統治者に据えることも可能である。
しかし、建国五百年になるこの国で、妻あるいは夫を共同統治者にした例は数えるほどしかなかった。どの王も自身の権力の分散をいやがったのだろう。
「ああ。わたしは異世界からの旅人。
力あるものの助けがなくば、この国を治めることはできまい」
ユリアはもっともらしい言い訳をいい。もちろん、共同統治者を設けたい理由はそれではない。だが、それを今ダマーン一世に話すことはできなかった。
「あい、わかった。
それも道理じゃな。
さて、そなたは誰を夫に定めるかな?」
代々の王が共同統治者を置かなかった理由は、実はもうひとつある。
神に定められた王ではない人間が権力を持つ弊害を考えたからだ。いつの時代も権力は人をいとも簡単に闇に染めていく。
ダマーン一世もそこを危惧したのだろう、彼の尋ねる声は真剣さを孕んだものになった。
「紅の占者マイヤを、私の夫に。
わたしたちは天にあっては比翼の鳥、地にあっては連理の枝となって、この国をともに治めていこう。」
「美しき話じゃ。そなたの国の神話かな?
その選択は正しい。マイヤほどそなたの夫に相応しいものはおるまい。
だが、王女には婚約者がおる。
いや・・・・・・かまうまい。そなたは案ずるには及ばぬ。
わしのほうからアインには婚約を解消する旨、申し渡しておこう」
国王はまたユリアに駄々をこねられては困ると思ったのだろう、できる限りの譲歩をしてくる。
「ありがたい仰せだ。
だが、ダマーン一世よ。
『ヴィシュタールの至福』たる私の未来の夫は病んでいる。
しばらくの休養をマイヤにいただけまいか」
「マイヤが病とな。
休養はかまわぬが、難しい病ではあるまいな」
国王の瞳は三度(みたび)驚愕に瞠られた。
王はこの国の舵取りをマイヤにまかせきりにしていたのだろう。ユリアが戸惑うほど落ち着きをなくしている。
「マイヤの病は肺結核だ。
この男の病は私の無知が呼び起こしたもの。
マイヤのこの姿は、私と再び巡りあうための目印だった。
この男の白銀の髪に紅い瞳。そして透き通るような白い肌。これらは体からすべての色素が抜ける遺伝病のために起こったもの。
マイヤはこの病のせいで、人より儚い体を持つことになってしまった。
彼が結核になり、苦しんでいるのは全て私の罪だといえる。
しかし王よ、わたしのいた異世界では、結核は治らぬ病ではない。
わたしは医者ではないが、私の持つ全ての知識でマイヤを完治させてみせる。
わたしが王となる十八の年には、二人並んで玉座に座っているところをお見せできるだろう」
ユリアの瞳がしばし王から離れて、愛しきものの姿をみつめる。彼女の瞳が映したのは切ないほど愛に自らを殉じた男の姿だった。
紅玉は琥珀を静かにみつめた。
ダマーン一世もかつて愛するものを喪って、自身を見失うほど惑ったことがある。そのためにユリアにかけた言葉は、彼が考えた以上に実のあるものとなった。
「ユリア殿のせい、ではない。そなたたちが子どもであっただけだ。
もし、マイヤを治すことができるなら、わしは協力を惜しまん。
だが、マイヤがいなくては政務が滞る、ということもまた事実だ」
国王は二律背反な思いに悩まされる。
『私』としての自分は、友人であるマイヤにゆっくりと休養してもらいたいと思っている。しかし『公』としての自分は、片腕であるマイヤの不在を惜しむのだ。
何故なら今のヴィシュタールは重臣の一人の欠けも許されないほど、危急な命題に悩まされているからだ。
「王よ。それではこうしよう。
わたしはこの世界のことをあなたの隣で勉強させていただく。
その代わりといってはなんだが、私の持っている異世界の知恵をこの国に与えよう」
ダマーン一世はユリアの提案にいちもにもなく飛びついた。
何故なら眼のまえの女はヴィシュバーンに、
『あの女には勝てぬ。』
と、いわせたほどの頭脳と心臓の持ち主だからだ。
しかも、この女は結核にかかった自分の恋人を治してみせると、公言したほど知識を有しているらしい。
それに、いざとなれば、この女を通してマイヤから助言を聞くこともできるだろう。
「そうしてもらえるとありがたい。
そなたは次代として我が摂政を務めるといい。
王女は十六じゃが、この危急のときに年齢をとやかくいうものはおるまい。
それに本当のそなたはマイヤと同年と聞く。そのうえ神をやり込めたという素晴らしい手腕の持ち主じゃ。期待しておるぞ。」
(うっ!このなりゆきはあのオッサンのせいか!
相変わらず食えないオッサンだ。
王女の親父をたっぷりと脅かしたらしいな)
「王よ、いまひとつ。
王女の宝石箱は空っぽだったぞ」
「・・・・・・!それは・・・・。
わしは本当に姫に嫌われていたようじゃ」
王はふいに大きな宝石のついた指輪で飾られた自身の手に視線を落とした。
ダマーン一世は眼前の娘と和解できたような弾んだ気持ちになっていた。
だが、やはりこの女は娘ではない。
王女は、我が娘は自分と王家を恨んで死んでいったのだ。
その証拠に『花の宮』に予算が回ってこないと父王に訴えることをせず、宝石を売り払って宮の者たちを養った。
自分を見捨てた父に頼ることを潔しとしない、王女の誇りは天よりも高かったろう。
・・・・・・・もう、やりなおすことはできない。娘は死んだのだ。
ダマーン一世は初めて自身の犯した罪の重さを理解した。
「そうだな。
だが、王女は十六才だった。
まだ人の弱さがわかる年ではなかったろう。
もう少し年を重ねれば、あるいは分かり合えたかもな」
ダマーン一世は亡き王妃と瓜二つな王女に会うのが辛くてたまらないほど王妃を愛していた。
王妃が死んだ時、王女は幼くて自分以外王の条件を満たすものはいなかった。もし自分が死を選んだら、幼い王女に国王としての重責を負わすことになる。
ダマーン一世は、父としてそれだけはどうしてもできなかった。だから王は若い女にのめりこむ事で、無理矢理に王妃を忘れることにしたのだ。
だが、ダマーン一世が王妃をなくした傷の癒えたときには、親子の仲は修復不可能なほど隔たってしまっていた。
「ユリア殿。
そなたは分かっていたのか・・・・・・」
「ああ。あなたは私の前世の父と同じことをしているからな。
反省すべき点は多いのではないか?」
父に殺されそうになった娘と父に見捨てられた娘、どちらのほうがより辛かったのか、ユリアにはわからない。しかし彼をこれ以上責めることはどうしても出来なかった。
「もはや、遅いかも知れぬが・・・・。
そなたを見て思い知らされた。わしの娘はやはり死んだのだな。
どんなにかわしを恨んで死んでいったことであろう」
ユリアにはもうかける言葉がなかった。
この男は残りの一生を悔やんで、悔やんで生きていくのだろうと思ったからだ。