ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜 7
第一章 異世界の旅人 D下
どれくらい昔になるかはわからない。
だが、わたしがマイヤとともに死んだ時の王はギリル三世で、その前の王は冷酷非道で名高いフェンリル一世だった。
そして、かつてわたしは侯爵家のひとり子として生まれた。
名をマリア・マルガレーテ・デュ・ハインリル。
だが、母を心から愛していた父は、母の死と引き換えに生まれたわたしを心底から憎んだ。
もし、ほかに跡取りとなる子どもがいたら、わたしは実の父の手によって誕生と同時に殺されていたことだろう。
父は愛した女を喪って狂気に沈んだのだ。
だから、わたしはユーディトに会うまでの年月を孤児として過ごしたといっていい。誰もわたしを愛さない。存在しないもののように扱われた。乳母のアイーシャを除いては・・・・・。
ユーディトと出会った日。わたしは十歳だった。
その時、わたしは急に姿を消した乳母アイーシャを捜して、カジュガルの町をさ迷っていた。
誰もがその日の暮らしに一杯で迷子を気にかけるものなどいない。そんななかユーディトだけがわたしに声をかけてくれた。
ユーディト・ソールズベリー。
それが前世のマイヤだ。
わたしたちはそのとき運命が定めたかのように恋に落ちた。わたしが恋に落ちた理由など、おまえたちにもすぐわかるだろう?
ユーディトはマイヤと違って、黒い髪に黒い瞳のヴィシュタール人として一般的な容貌だったけれど、奇跡のように美しかったのは今と変わらない。
でも・・・・本当はそんなことではないんだろう。わたしたちは出逢うべくして出逢った、ただそれだけだ。
普通なら花売りの少年と侯爵令嬢の恋なんて許されるはずもない。でもわたしは先程言ったとおり孤児だ。誰もわたしの行動を気にかけない。
十四になった時にユーディトの母親が亡くなった。そのせいか、ユーディトはわたしにやっと求婚してくれたんだ。
わたしたちは十六になって成人したら、遠くの町で一緒に暮らそうと約束した。ままごとのような恋だと人は言うだろう。けれど本当に真剣だった。
わたしたちはやがて十六になり、約束通り二人でカジュガルの町をでた。でも、わたしに利用価値を認めた父にわたしたちは引き戻されたんだ。
そして、父から血も凍るような話を聞いた。わたしたちは血のつながった姉弟なんだというね。
ユーディトはわたしの乳母のアイーシャの子どもだったんだ。もちろん父との間の子だ。
そして、わたしたちは強引に引き裂かれた。
それから、わたしは侍女の命と引き換えに王弟に嫁いだ。ユーディトは彼の美貌を自分の道具に使おうとした父の跡継ぎとなった。
父と王弟は復讐を目論んでいたんだ、このヴィシュタールに。そして…自分から愛するものを奪った神に。
なぜなら、王弟シグリルは前王の子どもではなかった。前王フェンリルがピレーネ人の夫婦だった二人を引き裂き、夫を惨殺して妻を自分の妾にした。
だが、ピレーネ人の妻はそのとき既にシグリルを身ごもっていたんだ。
シグリルが王家とヴィシュバーンに恨みを持つのは当然の成り行きだろう。
わたしも王弟に同情はしていた。けれど彼を愛することだけはどうしてもできなかった。わたしの心はたとえ弟だとしてもユーディトのものだったから。
そんなわたしに腹を立てたんだろう、シグリルはわたしを『雪の宮』にある塔の最上階に幽閉した。
わたしはそこでユーディトを思いながら、冥神トゥーラの迎えだけを待ちつづけて暮らした。
もしあの時、カジュガルに大地震が起こらなかったら、わたしはあのまま塔で生きながら朽ち果てていただろう。
だが、人というものは案外生き汚いものなんだな。
わたしは死を待っていたくせに、いざ死ぬとなると未練が残って仕方なかった。今一度、ユーディトに会いたいという想いだ。
神はそんなわたしを哀れんでくれたんだろう、手前勝手な望みをかなえてくれた。
ユーディトは余震の地鳴りがするなか、わたしの元に駆けつけてくれた。そればかりでなく一緒に死んでさえくれた。
わたしはあの時の彼の言葉を決して忘れない。
『生まれ変わったら、今度こそ一緒になろう。
マリアでありさえすれば姉弟でもかまわない。
僕の愛は未来永劫、きみだけのものだよ』
わたしたちはそのときの約束どおり、こうして生まれ変わった。
それなのになぜかわたしだけ異世界に生まれ落ちてしまった。そんなこととは知らないわたしは異世界で二十六年間彼を探し続けたよ。
それは何故だったんだろう。そのことは今でもわからない。
でも、こうしてやっと出会えた。だからどんな手段を使っても、たとえ誰を傷つけてもマイヤを自分のものにする。今度こそ絶対に離さないつもりだ」
長い、長い話を終えたユリアのためにマーサはお茶をいれてやりながら、マーサは考える。そこまで人を思えることは果たして幸せなのだろうかと。
いや、おそらくこの上もなく幸せなのだ。
たとえ、どんな結末を迎えても、二人はお互いを愛したことを決して後悔しないのだから・・・・・。
そう考えると、人を愛するということはなんと傲慢なことか。
ユリアにはマーサの考えなどお見通しだったようだ。彼女の心を見透かしたように言葉をつないでくる。
「マーサ。マイヤは王女の想いに応えられない自分に平静でいられたろうか。
あの男は王女の死を自分のせいだと思って責め続けているだろう。
それでも、おまえはマイヤを許せないかい?
だが、わたしは王女が死んだのは私情ではないとおもっている。
マーサの知っている王女は、失恋などで自分の役目を忘れる人間ではなかったろう?
きっかけはもちろんあっただろうが、最終的に王女が死を選んだのはこの国の成り立ちに不信を憶えたからだ。自分の死が結果的に、この国のためになると信じたからではないだろうか」
ユリアは不思議なくらい王女の気持ちに共感していた。おそらく王女の身体がそれを教えているのだろう。
「申し訳ありません。
あのお優しいマイヤ様が傷つかれないわけがありませんでした。姫様の自死をさぞご自分の過ちのようにおもわれたことでしょう。
ユリア様、私は・・・・・・間違っていたのですね。
姫様が自殺なさったのは私情ではないと、わたしがそれを一番に信じなくてはならなかった・・・・・・」
マーサは自身の無力とともに、王女が自分たちを見捨てたと嘆いていたのだろう。王女の真実に辿り着いた今、もうマイヤと王女を疑う事はないだろう。
「女官長、わたしもそう信じます。
王女は決して私情で死を選ぶ方ではなかった。
あの方は常に国民(くにたみ)のことを考えておられたではありませんか」
カーライトも王女の真実のたどりついたようで、ユリアの言葉を後押しする。
「わたしは王女の魂の双子なのだそうだ。
お前たちを初めて見たとき、不思議と胸が暖かくなった。この体はお前たちを見てうれしいと感じたのだ。王女はわたしの中で今も・・・・生き続けている。
だから、協力してくれないか。
わたしは前世、わたしのために死んでいった友人に誓ったのだ。
『生まれ変わってもこの国を糾すためにわたしの全てをかけよう。』と。
この国は病んでいる。神の血は人間には重過ぎるのだ。だから狂気に走る王が出る。
国王が神の末裔である必要などないではないか。
わたしが、異世界の人間であるわたしがこの国を立て直そう。全ての国民(くにたみ)が未来ある明日を信じることができるように・・・・・」
ユリアの瞳がその心と同じように黄金に輝いている。
この女のためになら全てを捨てても惜しくないと思わせる強い瞳だ。
(この女しか、この国の王にはなりえぬ)
二人は同時にそう直感した。
他の誰もこの女ほど、ヴィシュタールの未来を変えていくことなどできはしない。
「わたしでお役に立つことがありましたら」
「存分にお使いください。我が王よ」
マーサとカーライトは臣下として初めて、自らの王に跪いて礼をとった。
ここから何かが新しく始まっていくのだ。
「早速だが、カーライト。お前に二つばかり頼みがある。
わたしは明日から朝議に参加することになる。お前にはわたし直属の護衛官になってもらいたい。
それともう一つ。剣の稽古の相手をしてくれ。
この身体をもとの身体と同じように動かすには、実践が一番だからな」
「稽古はかまいませんが、朝議ですか・・・・?
ユリア様は十六才ですから、政治に参加することは許されません。
そんな前例は今までにないのです」
「前例などなければつくればいいではないか。
それに本当のわたしは二十六才なんだ。資格は十分だろう?
今夜、ダマーン一世に謁見を申し込んでおいた。
お前もついてくるがいい。お前にわたしのやり方を教えてやろう」
ユリアの金の瞳がカーライトを静かにみつめている。
カーライトは自分の心が高揚しているのをなかなかに面白いと感じていた。
(まるで、恋だな。この女のためなら何でもできるとおもうなどとは・・・・・)
「わかりました」
「それからマーサ。もう金のことは心配するな。
ダマーン一世からたっぷり金をもぎ取ってきてやる」
「・・・・・ユリア様。ご存知だったんですか?」
マーサは砂漠で鯨を見たような顔で、ポカーンとしている。
ユリアはマーサのその顔があまりにもおかしくて、そんなに驚くことかとおもう。ほんの少し観察力があればわかることなのに。
「ああ。この宮を見るだけでわかる。・・・・・といいたいところだが、王女の宝石箱を見せてもらった。見事に空っぽだったな」
この花の宮に何年も修理の手が入ってないのを見たとき、ユリアは王宮を保てないほど国が衰弱したかと真っ青になった。
しかし、王女の宝石箱の中身を見て、すぐにそれとわかった。
後は侍女たちの噂話を総合すれば、自然と答えは出る。
「はい。姫様はご自分の宝石をお売りになり、この宮の体裁を保っておられたんです」
心底恨めしそうな物言いをするマーサでも、王女の父と思えば悪く言うこともできないのだろう。国王の王女に対する無関心に少しも触れようとしない。
「王女は誇り高い方だな。
自分を見捨てた父に、決して尻尾を振ろうとなさらない」
(王女に会ってみたかったな)
きっとろくでもない父親を持った同士、いい友達になれたことだろう。
ユリアの王女に対する賛辞にマーサはまた目頭を熱くしている。
もし、年を取ることが、これだけ人間の感情を豊かにするなら悪いことではないと思えてくる。
「姫様が十歳の時に王妃様が亡くなり、それからというもの陛下のお越しは絶えてしまいました。
陛下は母を亡くした幼い子どもをどんな理由があって見捨てたというのでしょう。わたしにはお心をお図りすることができません。
よく姫様は自分を孤児だとおっしゃいました。
そんな姫様です。宮がどんなに窮乏したとしても、陛下に助けを求めるなどなさるはずはありません。
陛下が姫様に謁見を許されたのは、神に世継ぎと認められた成人の日、ただ一度きりでございました」
マーサはとめどなく溢れる涙をもはや拭おうとせずに、ユリアを真直ぐにみつめてくる。
「マーサ。王女に変わって礼をいう。よく長い間、尽くしてくれた。
カーライトも本当に苦労をかけた。ありがとう」
ユリアは二人に礼を言うことしかできない自分が悔しかった。彼らの苦労に報いなければと思いを新たにする。だが、今日のところは二人が本当にうれしそうだからこれでいいのだろう。
「ユリア様、恐れ多い仰せです。
長年の苦労が報われた思いがいたします」
マーサがユリアの右手を握り締めてくる。彼女の手は皺だらけだが、そこには暖かい温もりが満ちていた。
「マーサ。今日は疲れただろう。もう下がるがいい。
カーライト。マーサを馬車口まで送ってやってくれ。
わたしは書庫にしばらくこもっているから、夕食ができたら呼びにこい。
それから、おまえもマーサを送ったら少し仮眠を取れ。せっかくのいい男がだいなしだぞ」
少しむっとしたカーライトと、それをみて楽しそうなマーサを交互に見つめてからユリアは書庫に向かってせかせかと歩きはじめたのだった。