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ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜 3

第一章  異世界の旅人 A

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 「遅い!」

 神は後ろに立った男の気配を感じると憤ったように断じた。

 「王女のおまえを呼ぶ声を感じぬほどに囚われたか」

 「わたしは只人です。買被りくださいますな。」
 
 男はほろ苦く笑うといった。
 だが、神は男の返事が聞こえなかったのか、全く違うことを口にした。
 
 「神とは無力なものだな。
 わたしが彼女の運命を変えようと画策しても、王女は結局ここへと辿り着いてしまう」
 
 腕の中には自死をした美しい少女。
 神は王女の額にかかった髪を優しく梳きやると、まるで我が子を愛おしむようにみつめた。
 
 はらり……はらり……。
 朔の闇夜。花明かりの下。
 白いオレンジの花が一片ずつ彼女のもとに舞い降りる。それは不幸な生涯を終えた彼女を慰めるかの如し。

 「ヴィシュバーン。わたしも同じです。王女がこの時点に辿り着かない道をいくら探そうとも水晶はいつも同じ未来を映し出す」

 男は紅い唇を白くなるほどに噛み締めた。

 「ああ。だが、どんなに悔もうとも王女は帰っては来ぬ。
 それに……王家の血を絶やすわけにはいかぬ。大地との契約ゆえにな。 
 さて、どうするかな、“紅の占者”よ?」

 「神よ。あなたはずいぶんと意地がお悪い。
 わたしにそれを言わせるおつもりですか。
 ………もうひとりの王女を呼び寄せるしか手段はないと」

 「お前は恋人との再会に胸が躍っているだろうがな」

 ヴィシュバーンは王女が最後に誰の名を呼んだのかを教えてやりたくて堪らなくなった。
 だが、これ以上男を傷つけることに躊躇い(ためらい)を感じた。この数週間というもの男が寝もやらず王女を助ける術を探し続けていたことを知っていたから。

 「わたしに残された時間は少ないのです、とても」

 男は泣きだすのではないかと思われるほどに口唇を震わせた。

 「果たしてそうだろうか。
 恋は不可能を可能にするかもしれぬ。
 だが紅の占者よ、もう時がない。もうひとりの王女の魂をすぐさま呼ばねばなるまい」

 すると、神は最前までとまったく異なる声、まるで大地が謳(うた)うな力強い声で、召喚の言(げん)を紡いだ。

 『天地創造の神、そして全ての神の父であるヴィシュバーンが命ずる。
 風の神ダカールよ!時空を切り裂き、異世界より双子の魂を召喚せよ。疾(と)く、疾(と)く』

 刹那、つむじ風が巻き起こり、それは次すぐさま一人の男の姿をとっていく。
 最高神に召喚されたのは、風の神ダカール ――――― 。
 褐色の肌に短く切った銀の髪、透き通る風のような蒼い瞳の巨漢であった。
 彼の両手には人の頭ほどのまばゆい光の玉。
 ダカールはその大きな手を父神に差し出すと、光の玉は王女の亡骸にみるみる吸い込まれた。
 その直後に起こったのは、眼が眩むばかりの光の洪水。あまりの輝きに眼を背けずにはいられないほどの………。
 ヴィシュバーンは王女の中に完全に光が吸い込まれたのを見届けると、男にいたずらな金の瞳を向けた。
 
 「さて、仕事は終わったようだ。
 わたしはお前とこの娘の子ができるのを楽しみにしていよう」

 ヴィシュバーンは手の中の王女を男に託すと、息子神の肩を抱き、消えてしまった。

 「神とは存外無責任なものですね」
 
 男はひとつ大きな溜め息をついてから、手の中の存在とともに果樹の下に座り込んだ。

 「死病にかかっているわたしに、彼女をどうしろというのでしょう」

 つと王女の睫毛が震えはじめ。男は息をのんで、彼女を見守った。
 王女の琥珀の瞳が男をみとめて見開かれる。
 その生命力に溢れた意思の強い瞳は、男が知っている王女なら決して持ちえぬもの。
 
 「ユリア・・・?」
 
 男の声に初めて甘さがにじむ。
 女は紅い瞳を見出すと、両の繊手(せんしゅ)を男の頬にのばした。
 
 「マイヤ、あなただな。
 会いたかった!もう二度と会えないと思っていた」
 
 女は両手を男の首に巻きつけ、噛みつくような接吻(くちづけ)をした。

 「あなたはユーディトだったんだな。
 この間は辛い思いをさせてしまった……。わたしを許してほしい」

 「いいえ!あなたのせいではありません。
 それより・・・・・思いだされたんですね」

 マイヤの瞳は生来赤いのだが。それをますます赤くしてユリアだけを真摯にみつめている。
 
 「ああ。しかし十年ばかり若返ったような気がするんだが………」

 自分が着ている窮屈なドレスを、心底いやそうに見つめながらユリアは答えた。

 「はい。何から話せばいいのでしょう。
 その身体はこの国の王女のものです。簡潔に言うなら、もうひとりのあなたといったような……」

 「そうか。
 わたしは飛行機事故で死んだんだな。
 ここはあなたの世界。わたしはパラレルワールドに来たというわけか」

 ユリアはマイヤの腕の中から凍えそうな瞳で、天空を見上げる。
 しかし、今夜は新月。ユリアの探す双子月の姿はどこにも見えない。

 「パラレルワールド?」

 「直訳すると平行世界だ。異なる次元にある世界のことをいう。
 
 このヴィシュタールはこの星の上にあるひとつの国だ。その星が無数に集まったものを“銀河”という。
 しかし銀河は一つだけではない。それこそまた無数にあり、それを宇宙というんだ。そして、その宇宙も異なる次元に無限にあると言われている。
 そうだな。たくさんの卵を左右に仕切りのある箱に入れたとしよう。仕切りは卵より高さがあるとする。そうすると卵同士はお互いが見えないだろう?
 けれど、箱の中に卵は確かに存在する。卵が宇宙だとするとわかるだろうか。
 ありていに言えば、あなたの生まれた宇宙とわたしの生まれた宇宙は違う次元にあるということだ。普通ならわたしたちが出会うことは絶対にありえない」

 マイヤにユリアの話は難しすぎて半分も理解できなかった。
 けれど、ひとつだけ。彼女の元世界はヴィシュタールよりはるかに文明が進んでいたと思われる。

 「ユリアがおっしゃりたいのは、あなたの世界とこちらの世界は決して交わらないということでしょうか?
 ですが、そのありえないことを可能にしたのが神の力です」

 「ヴィシュバーンか。感謝しなくてはならないのかな?
 しかし、ということになるとこの身体の持ち主も死んだわけだ」
 
 「はい。彼女は、王女は決して死んではならなかった。たったひとりの王位継承者ですから。
 ですが、たとえ神であっても自殺したものの魂を甦らすことは許されていない。
 そのためヴィシュバーンは、王女の魂の双子であるあなたを異世界からお呼びになったのです」

 「ふーん。それは事故死したわたしなら生き返らせられるが、自殺した王女は無理ということか。
 しち面倒くさい摂理だな」

 ユリアは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 けれど、すぐに思い返したとみえて、つづけた。

 「まぁ、いい。この国を糾す機会を与えられたんだからな。これでサーシアとの約束が果たせる。『生まれ変わっても、この国を糾すためにわたしのすべてをかけよう。』というな」

 「サーシアですか?
 あなたはまた彼女のために生きようというのですか?」
 
 かーっとマイヤの頭に血が上る。
 ついで、いい加減にしろと思う。
 前世だってユリアはサーシアのために命すら落とした。そこまであの侍女が気に入っているというのか。自分が、ユーディトだった自分が彼女の眼前にいるというのに………。

 「悋気か、マイヤ? 前回はシグリルで、今回はサーシアか。
 あなたも忙しいな。」

 ユリアがにやりと笑う。
 そういえば、再会が唐突過ぎて忘れていたが、彼女はこういった性格だった。自信家で、どんなときも楽しみを見つけ出さずにはおかないといったような。

 「あなたは少しも変わりませんね、ユリア。」
 
 マイヤが溜め息をつきながら、それでも愛おしそうにユリアを腕のなかに抱くと、彼女は力を抜いて男の腕にもたれかかってきた。

 「ああ、時間切れみたいだ。凄まじく眠い。
 続きがしたかった。他人の身体でするっていうのもなかなか興味深いとおも………」

 ユリアはゼンマイの切れた人形のようにパタッと動きを止めると、マイヤの腕の中で眠りこんでしまった。
 ユリアの魂は違う身体に入れられたため、ずいぶん負荷がかかったのだろう。そうでなければあのはた迷惑なほど元気なユリアが、意識を失うなどということはありえない。

 マイヤは子供のように眠るユリアを見つめながら、再び溜息をついた。
 ユリアのいった『続きがしたかった』というのは理解できる。自分もそれを望んでいたから。
 けれど、『王女の身体で』というのは、理解の範疇を超えている。もしかしたら、異世界生まれなユリアは性に対して以前より奔放なのかもしれない。
 それでも、彼女が愛しくてたまらない。
 でも、だからこそ、ユリアと一緒にいることはできない。
 自分は遠からずこの世から姿を消す。自分との思い出などこれからの彼女の足かせになるだけだ。
 何故なら、ユリアこそがヴィシュタールの民が長い間待ち望んだ“真実の王”なのだから。 
 マイヤは今ほど自ずからの預言と占いの才を恨んだことはなかった。
 もし、そんなものを持ち合わせていなければ、もっと身勝手になって、ユリアに看取って欲しいといえたものを・・・・・。

 マイヤはもう一度、名残惜しそうに彼女の髪に冷たい唇を押し当てる。 
 オレンジの甘い香が仄かにする髪に……。
 つと見上げると、そこには天をふさぐほどのオレンジの大樹。
 果樹はおそらく、来年もこの場所で美しい花を咲かせることだろう。己を愛してくれた王女の面影を偲びながら………。
 だが、果樹と違い、自分は最後まで王女の気持ちに応えることができなかった。
 もし、彼女の気持ちに応えていたら、この結果はなかったと知っていても。

 (わたしはこれからも悔やみ続けるだろう)

 本当はユリアがサーシアを忘れられない気持ちがわからないではない。
 サーシアは前世のユリアを真実、愛していた。だが、ユリアは自分を運命と定めて、サーシアの想いに応えることはなかった。
 自分が愛した人に愛されることは奇跡。
 だが、その想いが他人(ひと)を傷つけてしまうことも少なからずあるのだ。
 マイヤは先程さっさと姿を消した主神にも己の罪深さを少しは感じてほしいと思った。それが少しばかり人の身には不遜な考えだとしてもだ。
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