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ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜 2

第一章  異世界の旅人  @

         1

 ビイーッ……ビイーッ……ビイーッ……。

 機内に先程から規則的な機械音が鳴り響いている。人間を苛立たせずにはおかない不快なアラームだ。

 「後どのくらいだと思う?」
 
 真っ赤なアロハを着た大介が救命胴衣をくくりつけながら聞いてくる。
 赤いアロハに黄色の救命胴衣が妙にしっくり来て、こんな時なのにユリアは笑いを堪えるのに苦労させられた。

 「そうだな。等加速度運動はしていないから15分か、20分ってところだろう」

 「ユリア。あんた、等加速度運動なんていうのやめてよ!
 そんな悠長なこと言ってる場合だと思う?」

 「だが、落ち着く以外に今、できることがあるとおもうか?」

 窓の外にはタールを溶かしたような黒々とした海が横たわっている。そこに島影どころか一つの明かりも存在しない。
 2人を乗せた飛行機はエンジンの故障のため、先程から闇を切り裂くように落下し続けていたのだ。
 1万メートルから少しずつ高度を落としていくジェット機の中で、妙に腹が据わってくるのは現実離れした出来事のせいだろうか?


 本小説の主人公である上條ユリアが友人である藤枝大介にひょんなことでできた借りを返すため、ハワイに出かけてきたのは9月の初めだった。
 広告代理店に勤めるユリアとメイクアップアーティストの大介は、CM撮影の現場で知り合って3年ほどの付き合いになる。
 もちろん恋人などという浮かれた関係ではない。
 俗にいう悪友、まぁ、オブラートに包んだ言い方をしても親友というところだ。

 ふたりがひと足遅い夏のバカンスのため、成田を離陸して30分。
 機内に車のタイヤが焦げたような臭いが充満した後、機長が不時着をすると告げてくるまであっという間だった。
 しかし、無事に着水したとしても広い太平洋の真ん中である。救助隊が来るまでどれほど時間がかかることだろう。
 そのためか、先ほどまで極度のパニック状態だった乗客たちも今は皆水を打ったようにおとなしい。おそらく、自分の人生もここまでと諦めたか、運を天に任せる決心がついたのだろう。
 けれど、ユリアはそのどちらでもなかった。
 携帯の待ち受け画面に浮かぶ恋人を食い入るように見つめる大介の精悍な顔をつんつんとつついた。

 「大介。一度聞いてみたかったんだ。
 おまえ、運命の恋人に会ったんだよな?」

 ユリアの質問の意味を察した大介は携帯を閉じると、ユリアから顔をそ向け、窓の外を見つめた。

 「そうよ。前世からの宿命の恋人ね。
 たまにいるのよ。あんたやあたしみたいに昔の記憶を持って生まれてくるやつが。昔のことなんて忘れちゃったほうが幸せなのにね。どうしてかしら?」

 『どうして』と訊きながら、大介はその答えをユリアに望んではいない気がする。

 「あんた、五千石心中って知ってる?
 『きみと寝よか、五千石とろか。
 ままよ、五千石。きみと寝よ』ってやつよ。
 あたしはその歌の、江戸時代の旗本だった。
 職場の仲間との付き合いで行った吉原で、花魁(おいらん)と深い仲になって、全てを捨てて彼女と心中したの。
 ばかな話だと思わない?三千石の旗本の養子になって、美人でおとなしい奥さんと二人の子どもまでいたっていうのにさ。
 あっ、そうそう。なんで心中したかっていうとね。
 あるとき見ちゃったのよ。奥さんが他の男とみつめあってるところ。
 もちろん、浮気なんてしていたわけじゃない。ただふたりは偶然街角で会っただけだったとおもう。
 でもね、あたしはふたりをみて気づいたの。奥さんはその男と結婚できないなら、相手なんて誰でもよかったんだって。
 後から聞いたわ。奥さんは家のために恋人と泣く泣く別れて、あたしと結婚したんだって。
 そう。当時はそんなのあたりまえだった。珍しい話なんかじゃない。
 でも、どうしてかしら? 胸がつぶれそうに痛んだわ。
 そんなときだった。彼女と会ったのは・・・・・・。
 あたしをあたしとして愛してくれるひと。彼女の寂しげな眼差しに囚われて、親族の反対も押し切って通ったわ。
 でも、とうとうあたし、座敷牢に閉じ込められちゃって。だから、死んで彼女と添い遂げようっておもったの。
 けど、死んでも彼女と一緒にいることは許されなくってさ。やっと自殺した罪が許されて生まれ変わるのに200年以上かかっちゃった。
 だから、もう一度会えたときすぐプロポーズしたわ。
 前世のことなんて少しも覚えてない彼女は冗談だと思ってげらげら笑ったけどね。
 でも、あたしは今幸せだわ。彼女はモデルの仕事が忙しくてイタリアと日本を行ったりきたりだけど、それでもとっても幸せなの!」

 「ふふっ。それじゃ、おまえは彼女のもとに帰って、子作りに励まないといけないな」
 
 大介は茶化したいい方とは逆にユリアの眼が真剣なことに驚かされた。

 「あんたは出会えたの? 
 あたしと初めて会った時に探してた相手を………」

 「会ったのかな? あれは夢だったのかもしれない。
 だが、わたしもようやく前世の記憶を取り戻したんだ。
 わたしはお前と違って誰かを探してただけで、それが何でだか誰だかも知らなかった。でも、一ヶ月くらいまえかな、全部思い出した……」

 ユリアはそこでいったん言葉を切ると、何かを思いきるように続けた。
 
 「だがな、大介。彼には二度と会えない。彼が生きているのは異世界なんだ。わたしひとりがこの世界にいる」

 「へっ!? 何で異世界だってわかったのよ」

 「簡単にわかったよ、月がふたつもあったからな。前世の記憶の中も、彼と夢で会った時も」

 ひどくつらそうにに話すユリアの瞳にふと浮かんだものはなんだったのか。それを見抜けなかった自分を大介は後から死ぬほど後悔することになる。

 「そりゃあ、確かに地球じゃないわね。
 別の星か、異世界よね」

 「お前、こんなばかげた話を信じるのか?
 パラレルワールドだぞ!まるでジュール・ベルヌのSFみたいだ」

 「なんでよ。信じるわ。あんた、嘘はつかないから。
 それに夢みたいなこと思いつくほど、ぽややーんな性格でもないしね」

 大介は『ぽややーん』という語で、初めてユリアと会ったときのことを思い出した。
 あの日、化粧品のCM撮影が難航して早めのお昼に入った時。
 スタジオの裏で撮影を遅らせている元凶が背の高い女と話しこんでいた。
 おそらく、事態を把握しているとは思えないぽややーんなモデルは、うっとりした顔で目前の女を見つめていた。
 眉より上で短く切られた前髪、背を覆うほどの長い黒髪は女をより神秘的に見せている。伏せられた長い睫毛はその影を頬へと落とし、最高の曲線を描きながら顎へと伸びていく。
 ライトグレーのパンツスーツをジーパンでもはくように自然に着こなした女は、どんなモデルより際立って美しかった。
 だが、どう見ても女にしか見えない彼女に、ぽややーん女が恋着している理由はわからない。
 
 刹那、ぽややーん女が無理を言ったのか、彼女はふいに眉を寄せた。でも、すぐに考え直したのか、かすかに頷くと女の手を強く引き寄せた。
 大介は、このときほど驚いたことはなかったと断言できる。
 そして、彼女はぽややーん女を抱き寄せると、顎をつかんで唇を重ねた。
 触れるだけのキス、なんて軽いもんじゃなく、絶対ディープキスだったと確信を持っていえる。なぜなら鼻にかかった甘い声がすぐに聞こえてきたからだ。
 かなり長いとおもわれるキスの後、ぽややーん女は腰がくだけたようで、彼女に縋って抱きしめられていた。
 
 つと、大介の気配に気づいたのか、彼女が美しい顔をこちらに向けた。今まで熱いキスをしていたなんて思えないほど冷静なまなざしでだ。 
 その時、自分はおそらく、しどろもどろになり、『結構なものを見せていただいたわ』などとバカな事を口走ったような気がする。

 『そりゃあ、光栄だ』

 そういいながら子どものように笑った彼女の顔を見た瞬間。ぽややーん女が恋をした理由がわかった気がした。
 綺麗なだけの人間などこの業界だ、腐るほどいる。
 けれど、彼女に影響を及ぼすことなど誰にもできない、と思わせる程強い瞳の輝きをもった人間などどこにもいない。

 (彼女はHEROなんだわ)

 だから、誰も彼もがどうしようもないほど魅かれてしまうのだ。

 「大介。さっきから気持ち悪いぞ。思い出し笑いか?相変わらずどスケベだな」

 ユリアが大介の放心を、からかいを含んだ声で聞いてくる。

 「あんたにだけはそんなこと言われたくないわ。
 今まで一体、何人の女とキスしたのよ?」
 
 「そんなこといちいち憶えていないな。だが、百人は超えていないと思う」

 「あんたってそういう趣味のひとじゃなかったわよね?」
 
 「うーん。難しい質問をするな。
 強いていうならどっちでもいい、かな。
 うーん。でも、キスをするなら断然女の子の方がいいな!なんでかっていうと、柔らかくていい匂いがするから。
 だが大介、言っておくがわたしは自分からキスをしたことはないぞ。して欲しいといわれたからしたまでだ。しかもそれ以上のことをしたこともない。なんといってもわたしにペニスはないからな。はははっ!」

 などと豪快に笑いながらいうこいつは生まれてくる性別を間違ったに違いない。
 そして、ユリアが男だったら、ひとりで日本の少子化を食い止めてしまったかもしれないとも大介は思った。

 「あんたってほんと女の敵ね。いつか刺されるわよ」

 「なにをいう。わたしは彼女たちの要望にお応えしただけだ。
 しかも、彼氏のいる子には手を出していない。ちゃんとお断りしている」

 大介は頭を抱えた。

 (普通の女は同性にキスして欲しいなんていわれないし、万が一いわれても絶対断ると思うけどね)
 
 ユリアの答えにどこからつっこもうか大介が迷っていた時、機内を凄まじい振動が襲った。

 「タイムリミットだな。
 もし、生きて戻ったらお前の彼女に紹介してくれ!」

 「絶対、お断りよ!」

 ユリアは大介の言葉に涙が出るほどに爆笑してから、ふいに真顔になると、シートベルトを外し大介に覆いかぶさった。

 「あんた、なにしてんの。
 あたしは女の子じゃないのよ!」

 「そりゃそうだ。お前はおカマの振りしてるだけだもんな。
 だが、お前は絶対帰れ!彼女が待っている」

 「ユリア、バカ。離れなさいよ!
 あんたにかばってもらってもちっともうれしくないのよ」

 「大介、すまない。わたしの身勝手だ。
 わたしはもう、彼にはマイヤには二度と会えない。だから………」

 ユリアの両眼から、音もなく零れた暖かい滴が大介の肩を濡らす。
 だが、大介はこんなユリアを認めるわけにはいかなかった。

 「あんたが死ぬと何百人もの女が泣くじゃない。
 あたしのせいにされて恨まれちゃたまんないわ」

 ジェット機はすべてのエンジンが停止したんだろう、凄まじい速さで落下していく。
 機内を悲鳴と怒号の嵐が満ちる。
 けれど、ユリアは全身でしがみついていて、どんなに大介が突き離そうとしても決して離れない。
 
 「ユリア。このやろう、離しやがれ」
 
 半泣きになった大介が怒鳴る。

 「ふふっ。やっと男言葉に戻ったな。
 ハワイについたら、カワイイねぇちゃんでもナンパするか?」

 それが……ユリアの最後の言葉となった。
 次の瞬間、ジェット機は凄まじい勢いで海に叩きつけられ、真っぷたつに機体が折れたのだ。
 そして、乗客は割れた機体から海に放りだされたのだろう、血まみれの身体がいくつも海水に浮かぶ。
 おそらく、ほとんどの乗客はこの世のものではないだろう。身体がバラバラになっても人が生きていけるというのでないなら。

 大介はこの世に地獄など存在しないと思っていた。
 けれど、今ここにたしかに存在しているではないか。
 黒々とした海は機体が燃えさかる炎に照らし出されて、身震いするほどの惨状を映し出す。
 
 (ユリア……?)

 大介はユリアの長い髪が海の妖精(セイレーン)のように海面に広がっていくのを眼の端に入れると、急に意識を失った。ユリアに守られた自分を最高に腹立たしく思いながら………。

 凄惨な炎のスライドショー ―――――― 。
 その間を生を失い、身体から抜け出た魂たちが、美しい光りの玉となって天上に上っていく。
 だが、その恐ろしくも美しい光景をみたものはいない。
 ただ海上を渡っていく風だけが光りの玉を天へと誘いつづける。

 刹那、海上を一陣の風が吹き荒れた。
 突風はしだいに一陣のつむじ風となり、そのつむじ風は身を凝らせると、ギリシア神話の彫像のような美丈夫を生み出した。
 美丈夫は大小さまざまな光の玉から群を抜いてまばゆい玉をひとつ掴み取ると、すぐさま風に身を解かし消えていった。

 そして、残された海上を恐ろしいほどの静寂と焔(ほむら)が支配する。
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