ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜K
3
初秋の青空は高く、雲ひとつない。
中天にかかった太陽は夏のそれとは違い、優しい日差しを投げてくる。
恋人の手をとって出かけるには申し分のない日だ。もちろんそんな可愛い恋人がこの男にいればの話だが・・・・・・。
しかし今、この男に天気を頓着する余裕があるとは思えない。
カーライトは先程から痛む頭をかかえていたからだ。もちろん、鈴なりになった娘たちの視線の行き先にだ。
ユリアがこの国にやってきて、早三ヶ月がたとうとしている。
ヴィシュタールの政情はほんの少しずつだが、安定してきていた。
ユリアの打ちだす政策は驚きを禁じえないことばかりだが、澱んでいたこの国を吹き飛ばす勢いを彼女は持っている。
だが、問題はそのユリアだ。
さきほどから王宮の女官や侍女がユリアに熱い視線を送っている。
しつけの行き届いた彼女たちだから歓声を上げたりすることはない。だが、やりにくいことこの上ない。
ユリアとカーライトが剣の稽古をする夕方はいつもこの状態だ。
何故女が同じ女にこれほど恋着するのだろう。カーライトにはどうしても理解できない。
ユリアにマイヤという恋人がいることは周知の事実だから、なおさらだ。
しかもさらに頭が痛むのは、ユリアがこの状態に慣れていることだ。
ユリアは彼女たちに熱い視線を向けられても剣の手元が狂うことがない。二人でいるときと変わらず、稽古に集中することができる。
だからといって、ユリアが彼女たちを無視しているかと思えばそんなこともない。
女たちと眼が合えばにっこりと笑いかけてやり、差し入れなども嬉しそうに受け取っている。甘いもの以外は、だが。
カーライトは当初、自分の主を非の打ち所のない人物と思っていた。
ユリアは容姿、容貌とも完璧なうえ、頭も切れる。
自分ではまだ三割ほどの動きだといっていたが、剣も相当に使える。短期決戦なら自分は既に彼女の敵ではないだろう。
そのうえ、彼女はどんな時も、人目を引いてしまうカリスマ性を持っている。一国の国王として、彼女以上の人材は考えられないほどだ。
自分だとて彼女が望むならあの天空に輝く月をとりにいくことさえ、ためらわないだろう。王に仕える臣として、これは理想的な状態だといえる。
だが、昨夜のユリアの姿をみてからは、彼女を無類の変人だと認識している。
しかも自分は気づかなくていいことまで気づかされてしまった。
カーライトは昨晩、久しぶりにカジュガルの町に出て仲間たちと酒を飲んだ。堪らなくうまい酒だった。今まで手に入らないとあきらめていたものが、突然我が物となったような、不思議な気分で杯を重ねた。
彼はしたたか酔うと浮かれた気分のまま、王宮の庭にさ迷いでた。初秋の風は頬に心地よく、彼はひとり千鳥足でそぞろ歩く。
ふと見上げると、金の小さな花をいっぱいにつけた木犀のうえに朧に霞んだ月が出ていた。
丸みを帯びた美しい双子の月と甘い木犀の香りに誘われ、カーライトは桃源郷に迷い込んだ気になった。
甘い香りをはらんだ風が夜霧をうっすらと広げていく。その神秘的な光 景にカーライトはただ黙ってたたずんでいた、夢見るように・・・・・。
だから女に口づけしている人間がユリアだと気づくのに、かなりの時間を要してしまった。
金木犀の木の下で、美しい男が砂糖菓子のような娘にキスをしている。寄り添った二人はまるで一幅の絵のようで、カーライトは立ち去らねばとおもいながら、眼を奪われてしまった。
カーライトは酔いの回った頭で、ずいぶん髪の長い男だとおもった。しかも男は濃い紫の服を着ている。
『・・・・・・ユリア様?』
そうつぶやいたとたん、カーライトの酔いは一気に醒めていった。
紫は禁色で、王と世継ぎの君にしか許されていない。
毎日傍にいるから却って気づかなかったのだろう、ユリアはこの三ヶ月で見違えるほど変わっていた。今の彼女から王女の姿は片鱗も見つけられない。
カーライトは心が姿を形作る様を、まざまざとみせつけられていた。
ユリアの身長が急激に伸びたせいもあるだろう、すっきりとした身のこなしは凛々しくて、威厳すら感じさせる。
砂糖菓子はうっとりと潤んだ眼でユリアをみつめている。
娘の瞳に浮かぶのは間違いなく恋情で、カーライトは人が人に恋をしている様というのを初めてみた気がする。
しかし『目は口ほどにものを言う』というが、この砂糖菓子のような娘ほどおしゃべりな瞳の持ち主はいないだろう。
『キスが欲しいのか?』
恋人の囁きに、娘は真っ赤になって俯いた。
ユリアは彼女のこの顔を見るために、わざと意地悪を言ったのだろう。それほどに娘の恥じ入る姿は愛らしかった。
ユリアが彼女の腰をさらう。瞬間、娘の上半身はしなって上向かされた。
ユリアはそれを計算したのだろう、あっけなく娘の唇を奪う。
長い、長いキスがはじまって、砂糖菓子が耐え切れず甘い声を漏らす。
カーライトはユリアの舌が、彼女を高ぶらせていくのを黙ってみつめつづけた。それは男であるカーライトが羨ましくなるほどの技術だった。
不意にユリアの眼が開き、カーライトをみた。その剣呑な眼は間違いなく、『邪魔をするな!』と命じていた。
だからといってそこで立ち去れるほど、カーライトの忠誠心は薄くはなかった。
しばらく互いの眼を使っての押し問答が続く。
先に根負けしたのはユリアのほうだった。娘に残念そうに何か囁くと、彼女の肩を抱いて、王宮の下の宮に娘を送っていった。
しばらくして戻ってきたユリアはカンカンに怒っていた。
『邪魔するなといったろう!』
その言葉にカーライトは憤然とする。
何故自分は怒られねばならないのだろう。そんな思いさえ頭に浮かんでくる。
『お前はあんなキスをして、途中でやめられるのか!』
(そりゃ、やめられませんよ。自分は男ですから)
思わず口をついて出そうになる。だが、問題はそこではない。
『マイヤ様は同性とのキスも、許してくださるとはおもえませんよ』
ユリアの一番痛いところをついてみる。
案の定ユリアは、『うっ!』といったまま押し黙った。
『マイヤ様がお気づきにならないうちにやめておかれたほうが、うちの宮は平和です』
言外に『マイヤ様にばらしますよ』と匂わせてみる。
マイヤは先日来、王弟に対する嫉妬のあまり、花の宮に押しかけ居候している。そんなマイヤが、たとえ女だとしてもユリアと口づけを交わすのを許すとは思えない。
だが、そこでおめおめ引き下がるほどユリアは甘くはなかった。
『お前は言わないさ。カーライト』
そうユリアがいい終えたとたん、恐ろしいほど目の前に琥珀の瞳があった。
いつのまに近づいたのだろう、ユリアはカーライトの胸倉を掴むと強引に唇を重ねてくる。
彼女の強い意思を感じる、熱い舌にぞくぞくさせられる。
カーライトはだめだと思いながら、脳天が焼きついたようにユリアのキスに応えてしまう。
自分は羨ましかったのだろうか、先程の娘が・・・・・。
だからあれほどに腹が立ったのだと思い知らされる。
不意に強い力で両腕を掴まれた。ユリアはキスの途中にもかかわらず、カーライトから体を離したのだ。
『どうだ。途中でやめられるのはいやだろう?
あの娘はわたしの好みにどんぴしゃ、だったんだぞ。
それに、お前はもう・・・・マイヤに言いつけられないだろう?』
ユリアは腕を組みながらにんまり笑う。
(悪魔だ。この女は・・・・・・・)
ユリアはカーライト自身も意識していなかった彼の気持ちに気づいていた。
そのうえで口止めをした。あのキスは一石三鳥を狙ったものなのだ。
いつのまにか風が止まり、あたり一面を視界がきかないほどの霧が覆っていた。
その後、二人は深い霧に方向感覚を狂わされて、意思に反した長い夜の散歩を楽しむことになった。
昨夜の娘が稽古を終えたユリアに、手巾を手渡している。
その娘の手にユリアが触れると、女たちから一斉に溜め息が漏れた。
カーライトはますますわけがわからなくなった。
彼女たちは間違いなくユリアに恋をしている。
ユリアは身長が高いほかは、とても女らしい容姿をしている。そんな彼女が何故、女たちの気をこれほどひいてしまうのだろうか。
それはカーライトがユリアを恋い慕うのと同じ理由によるのだが、この朴念仁にわかる日が来るとはおもえない。
だが、そんなカーライトにも一つだけわかっていることがある。
『花の宮』の平和が風前の灯だということだ。
ユリアの病がマイヤにばれるのは、そんなに遠い未来ではないだろう。