ヴィシュバーンの末裔 〜月神の誘惑〜 10
第三章 隠された女神
1
闇のなかに明かりが灯る。
眼を凝らすとそれが人の髪であることに気づく。
その金の明かりは男の歩みに従い、するすると居場所をかえる浮気ものだ。
男はこの国には珍しい金髪碧眼だった。
肩にやっと届くほどの白金の髪、瞳の青は冬の空のように灰色がかっている。
腕のいい人形師が精魂を込めてつくった人形がそうであるように、人の身に過ぎた美貌は少しも暖かさを感じさせない。
この男を御伽噺の王子様というには少し冷ややか過ぎるだろう。
いや、彼を『童話の王子様』と思わせないのはその容貌のためでなく、彼の瞳に浮かんだ暗い光のせいかもしれない。
暗い光、すなわち劣情。
男は夢想している、女を淫らに啼(な)かせる様を・・・・。それは、彼の趣味と実益を兼ねた愉しい遊びだ。
美しい少女は今夜も彼のためにその白い足を広げるだろう。
男、王弟アインは、あたりをきょろきょろと見回すと、小さな祈祷所にその姿を隠した。
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(引力が強すぎるのだ。)
にわか雨を避けて近くの東屋に駆け込んだ二人は、すぐキスに夢中になった。
いくら唇を合わせても、舌を絡めてもまだ足りない。
誰よりも近くにいて、これ以上ないくらい愛し合っているのに、もっともっと近づきたいと願ってしまう。
もしもう少し外が暗かったら、もしあのまま誰も呼びに来なかったら、きっとまた肌を合わせていた。
なぜこんなに彼を欲しいと思ってしまうのだろう。
彼とのキスは初めての接吻(くちづけ)のようなときめきと切なさを秘めていて、ユリアはいつも抗うことができない。
(青臭い初恋でもしてるみたいだ。)
ひとりでに苦笑いがこみ上げてくる。
自分にはやらなくてはならないことが山とあるのに、恋に溺れたままでは誰も救えはしない。愛するマイヤですら・・・・・。
(だめだ。こんなことじゃ。集中しろ! ユリア。)
ユリアはブルンと頭を大きく振ると、政治学の本に眼を落とした。
すると、たちまち彼女の脳はまるでカメラで撮影しているかのように本の情報を写しとっていく。
ユリアは情報を一瞥しただけで、脳にそれをイン・プットすることができる。しかもその情報は彼女の脳から決して消えることがない。
それこそが冥界で偶然手に入れたユリアの能力なのだ。
彼女はいつまでも飽きることなく、ページをめくり続けていく。
シーンと静まり返ったユリアの部屋に木々の葉をうつ、雨の音だけが聞こえる。
雨はいまだやまない。
今夜は一晩中、慈雨となり大地を潤すのだろう。
不意にユリアは雨の中に、人の気配を感じた。
マイヤの忠告がふと頭に浮かぶ。
『アインはテラスから王妃の間に侵入し、続き扉を抜けて王女の部屋へ通ったのではないでしょうか。』
確かに王妃の間とこの部屋は続き部屋だから、王女の協力があればその方法は可能といえる。
だがテラスから王妃の間に入る際、衛士に見咎められる可能性が残る。
あのずるがしこい男が果たして、そんな不確かな方法を使っただろうか?この花の宮の誰にも知られずに王女に通う方法はたぶん、他にあるのだ。
そしてそれは・・・・・・。
キィーという音がして、続き部屋の扉が開く。
ユリアは夜着に吊るしておいた短剣を鞘から引き抜く。瞬間、ユリアは跳躍して侵入者の首に短剣を突きつけていた。
「アインか。
お前の欲しいものはもう、ここにはない。」
アインに伝わると思わないが、お前の王女は死んだのだという意味を込めて告げる。
やはり男はユリアの言葉を少しも意に介さなかった。
「面白い歓迎をしてくれるね、ユリア。
きみが記憶喪失になったというのも、まんざら嘘じゃないみたいだ。」
この男はユリアが突きつけた短剣を少しも恐れていない。それどころか面白がっている気配さえ感じる。
アインの明るい金髪が彼の整いすぎた容貌を照らしだす。
それは彼女が記憶している青年の姿ではなく、少年のそれではあったが忘れたくとも、忘れることのできない男の顔だった。
「シグリル・・・・・!」
ユリアの唇は言葉を発した形のまま、ぶるぶると震えた。震えはやがて彼女の両手にまで達し、右手に握っていた短剣を取り落とさせてしまう。
大きな音がして床に短剣が転がる。その大きな音にすらユリアは反応しない。ただ彼女の瞳は恐怖のあまり眼の前の男に向けられたままだ。
「僕はアインだよ。忘れちゃったのかい?
ああ、ごめん。きみは記憶喪失だったんだね。」
王弟はその瞳を甘やかに揺らしてくすりと笑う。
今の状態のユリアなら、簡単にこの男の思い通りになってしまうだろう。
案の定、ユリアは抗うことなく、アインに抱き寄せられた。
王弟はユリアを自分の腕に閉じ込めた後、彼女の左の耳たぶを尖らせた舌で舐め上げる。
そして甘くねっとりとした声で囁いてくる。
「僕の欲しいのは君だよ。」
アインは顔を傾けると、ユリアの唇に自分の唇をぴたりと合わせてくる。
男の強い意思を感じる舌が彼女の少しだけ開いた唇に入り込み、絡みつく。
次の瞬間、ユリアの体は電流を流されたようにビクンと震え、しなった。
(違うッ!これはわたしの知っている唇じゃない。
マイヤは絶対、こんなキスをしない!)
「違う!」
ユリアは覚醒すると、自分を抱いている男をおもいっきり突き飛ばした。
アインは驚きのあまり一瞬よろけたが、すぐさま怒りに燃えた美しい眼を向けてくる。
「何が違うの?それとも誰と違うの、と聞いたほうがいいかな。
きみもなかなかやるね。二股とは・・・・。
昨日はあのすかした男に抱かれたのかな。
僕は寝取られ男というわけだ。
ふぅーん。なかなか興味深いね。」
アインの瞳は自身の感情をうけると、青色の虹彩が輝きを増す。
ユリアは思い出してしまった。その瞳が自分に危険を及ぼす前兆だということを・・・・・。
「・・・・・・・」
「それで婚約解消?
あの、神さびたような男に女が抱けるとはね。
ひとついっておくけど、僕はきみをあきらめたりしないよ。
今日はとりあえず帰るけどね。」
ユリアは床に落とした短剣を拾うと、もう一度男に突きつけた。
そして自身の瞳が金色に輝いているだろうことを確信するという。
「アイン。それではわたしもお前に一つ教えておこう。
王女は、お前が抱いていた女は自殺したよ。一昨日の夜にね。」
アインは、だったら眼の前のきみはなんなのさ、という言葉をのみこんだ。
何故ならこの女の言葉にいくつかのひっかかりを覚えたからだ。
眼の前の女は王女とは違いすぎる。金に変わった瞳ばかりでなく、何よりその心のありかが王女と違う。
もし、彼女がこの部屋にいなければ、自分さえも王女によく似た女とおもっただろう。
・・・・だとしたらこの女は一体誰なのだ。
それと女がいった一昨日という言葉。それは偶然なのだろうか・・・・・。
アインの思考はメビウスの輪のようにとりとめもなく、一周廻ってはまた同じところに辿り着いてしまう。
「ふーん。
だったら、君の名前は?」
「ユリア。上條ユリア。」
ユリアはいつも名乗りに躊躇しない。
名前は identity 自分を大地につなぎとめる鎖なのだ。たとえ異世界に飛ばされようともそれはかわらない。
「王女と同じ名前ってわけ?
じゃ、ユリア。また会おうよ。」
アインは手をヒラヒラさせると、再び闇の中にその姿を消していった。