聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜8
第2章 再会はマチネーのごとく B
V
「ちょっと、人を荷物みたいに持たないでよ!」
あたしは怒鳴りながら、エティエンヌの肩の上でバタバタと暴れてやった。
すると、エティエンヌは
「大人しくしなさい、緋奈。
いいですか。これからマドモアゼルのお宅と場をつなげます。
深夜にあなた方をふたりっきりで帰すわけにはいきませんからね」と、怖い顔でいう。
なに、場って?
と、聞き返す暇はまったくなかった。
何でかというと、エティエンヌがすぐに行動に出たからだ。
右手ですいと垂直に空を切る。
もちろん、何かが切れたわけじゃない。けれど、確実にそこから違う空気が生れる。
あたしはそれをエティエンヌの首にしがみついて、ぽかんと口を開けて見ていた。
エティエンヌはそんなあたしに気づかないまま、散歩にでも出るように気軽に歩き出す。冴子の肩を軽く抱きながら。
ぷつり ―――― 。
卵の薄い膜をやぶる。そんな感覚がして。
エティエンヌは空間を渡った。
たぶん、渡るというほど、長い時間ではなく。
気づいたら、冴子んちの広い中庭だったといった感じ。
でも、それだけのことだったのに、なんでこんなに気持ち悪いんだろう。
まるで、超高速エレベーターで一気に下降したみたいに。
それにしても、この『場をつなぐ』っていうのはよっぽど非常事態じゃない限り、絶対にごめんだ。冴子はうずくまって胃を押さえてるし、あたしなんかもう少しでエティエンヌの背中に吐くところだったのよ!
「マドモアゼル。申し訳ありません。
わたしが姿を現すことを許されているのは継承者のみなのです。
今回は非常事態でしたので、お会いすることが適いましたが。
このような手段を取り、ご気分を悪くさせたことをどうかお許しください」
エティエンヌはあたしを担いだまま、うずくまっている冴子に深々と頭を下げた。
相変わらず、エティエンヌってば、冴子には優しいでやんの。なんかむかつく。
「さて、わたしたちも帰りますよ」
そういってエティエンヌはあたしの背中をぽんぽんと叩いた。
「ちょっと待って。エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール!」
ようやく復活したらしい冴子が唐突にエティエンヌを呼び止めた。
「お願いがあるの。
さっきのあなたのセリフからすると、わたしはこれからもあなたと会えるのよね。
だったら、誓って。エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール。
命を賭けてこの子を、緋奈を守ると・・・・・・」
日本人形のように黒眼がちな冴子の瞳がエティエンヌをまっすぐに凝視する。
あたしの位置からエティエンヌの表情は見えない。
けれど・・・・・。エティエンヌがそんなことにうんというわけがなくて。
「Oui Mademoiselle.
わたしの全身全霊で緋奈を守りましょう」
少しの間も置かず、エティエンヌ。
「Merci beaucoup Monsieur.」
冴子が流暢なフランス語で返す。
呆然としていたのは蚊帳の外に置かれたあたしだけだった。
「そんな・・・・。どうして・・?
・・・嘘っ・・・・・・」
あたしの口から、そんな言葉が次から次へと溢れだしていく。
だって、今までのエティエンヌの態度から、そんなこと察せられるわけないじゃないの!
「600年前にとうに立てた誓いを繰り返すのに、なんの躊躇いがいるというのです」
エティエンヌが少しの瞬きもせずに答える。
あたしはこの時、彼は『ジャンヌの末裔』を守ると誓ったのだろうと思っていた。
けれど、それは大きな間違いで。まぁ、あたしがそれを知るのは大分後からなんだけどね。
エティエンヌは冴子に会釈をすると、再び場をつないた。今度こそ、あたしたちの狭いアパ−トに帰るために。
あたしはその間、一言もしゃべることが出来なかった。
だって、嫌われているとばっかり思っていたエティエンヌにあんなことをいわれた上、そのぅ・・・・。すっごく密着していることに気づいて、恥ずかしくてたまらなかったのよ。
* * *
「痛いってば!」
あたしはエティエンヌが脇腹にさわってこようとするのをさえぎった。
「緋奈。触れなければ治すことは出来ませんよ!」
そういうとエティエンヌはブラウスを捲り上げた。
「ひやっ・・・・・!」
冷たい手に触れられて、一瞬激痛が走る。
あれから・・・・・。
あたしはエティエンヌに担がれて部屋に戻ってきたんだけど、脇腹が痛んで、一歩も歩くことが出来なくなっていた。たぶん、“ゆらぎ”に警棒で叩かれた後も動き回ったことが原因だと思うんだけどね。
エティエンヌはそんなあたしをいつになく優しくベッドに降ろして、治療してくれようとしたんだけど・・・・・・。
なんとエティエンヌってば、治癒のファクリティ(能力)を持ってるっていうのよ。
まったく・・・・さっきの「場つなぎ」といい、「導きの騎士さま」は幾つのファクリティをお持ちなことやら。
たぶん、聞いても絶対に教えてくれないんだろうなぁ。だって、それがエティエンヌだもん。
ってことで治療開始。
でも、ちょっと触られるだけで、すっごく痛いのよ、これが。
しかも、エティエンヌってば、何の気遣いもなくブラウスを捲りあげてくるし・・・・・。
そりゃ、瞬時に治してもらえるというのはとってもありがたいのよ。
なんていうか、場所が場所だしさ。女の子の羞恥心をわかって欲しいっていうか。
まぁ、そんなことをこの男に望んでも仕方ないんだけどね。
「これは・・・・ずいぶんと腫れていますね」
エティエンヌがあたしのわき腹を見て大きく眼を瞠る。
あっ!ほんとだ。大きなこぶみたいに腫れあがっている上、じくじく熱を持ったように赤いでやんの。
「すぐに治しましょう!」
エティエンヌはそういうと、ひときわ真剣な顔になった。
そっと宝物を扱うにみたいに優しく触れてきて。そこから見る見る痛みが消えていく。
あたしはほっと息を吐き出した。
「もう大丈夫ですよ」
エティエンヌがブラウスを元に戻してくれながらいう。
「どうもありがとう。
あの・・・・それからこないだはごめんなさい。無神経なことをいっちゃって」
あたしの言葉にエティエンヌは瞳を瞬かせた。
「今日はやけに素直なのですね」
「失礼ね。あたしだってそういうときもあるわよ」
あたしは弾みをつけて起き上がると、エティエンヌの隣に並んで座った。
うーん。何でだかそうしたかったのよ。それに・・・・彼ももそうして欲しいような気がしたの。
すると、エティエンヌはいつになく優しげな顔で、
「あなたはいいお友達をもっていますね、緋奈。
彼女は友達思いの上、とても冷静で頭が良くていらっしゃる」といった。
「うん。冴子は学年トップだしね。
でも、なんで急にあんなこといったんだろ?」
あたしは首を傾げた。
そりゃ冴子の心遣いはうれしかったのよ。
でも、なんか冴子の言葉に含みを感じちゃったっていうか。
「マドモアゼルは一石二鳥を狙ったのでしょう。
ひとつはわたしに『これからあなたを見張るわよ』という宣告。
そして、もうひとつは・・・・・おそらく・・・仲良くなって欲しかったのですよ、わたしたちに」
とつとつと躊躇いながらも、話し終えたエティエンヌと眼が合ってしまう。
『青の中の青』と母さんが評した瞳 ―――― 。
浮かんだのはいつもと違う、戸惑っているような、親にはぐれた子供のような奇妙な色。
ふうわりとセルリアンブルーのマントが動いた。
刹那、空気が震えたようで、あたしは身をすくませた。
抱きしめられる ―――― 。
恐らく無意識の、エティエンヌが一瞬だけ浮かべた何かを受け取ってしまったのかも知れない。
あたしはごくりと息を呑む。
けれど、そんな感情を瞬く間に消し去って、エティエンヌはいつもの彼に戻っていた。
横柄で小言ばかり言ういつものエティエンヌに・・・・・。
「いいですか、緋奈。
あんなむちゃな戦い方をしていたら、命が幾つあっても足りませんよ。
それに・・・・レイピアは日本刀とは違うのです。ですから・・・・」
「わかったわよ!明日からあんたに使い方を習うわよ!
それでいいんでしょ?」
あたしはエティエンヌのくどくどした説教をさえぎるといった。
なんか無性に腹立たしい。それなのに自分が何に怒っているのかもわからなくて。エティエンヌばかり冷静なのに腹が立つ。
あたしはペンギンの抱き枕を引き寄せると、ぎゅっとばかり抱きつぶした。
エティエンヌはそんなあたしを不思議そうに見ていたが、ふと思いたったように立ち上がった。
「ゆっくりお休みなさい。
それから・・・・・今日はよく頑張りましたね」
エティエンヌの銀の髪が零れ落ちる広い背中をあたしは信じられないものを見るように見つめていた。
だって、初めてなのよ、褒められたの。
後から見るエティエンヌの頬が心なしか桜色に染まっているように見える。
あたしはおかしくなって、くすりと笑ってしまった。
「うん。ありがとう、エティエンヌ。
あんたもゆっくり休んでね」
でも、エティエンヌはただ頷いただけで、あたしの声に振り返らなかった。
そのまま長いこと、高窓越しに夜空をながめていたようだった。月はすっかり、西の山に隠れてしまったというのに。
Copyright (c) 2008 Ryo Horai All rights reserved.