聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜4
第一章 ファティマの預言書 B
V
「やれ、やれ・・・・・。やっぱ東京に行くと疲れるわ」
アパートに着いたあたしは大きく伸びをすると、バックからノートを取り出した。
だが、そのバックやノートさえまっさらの新品。あの事件は家族ばかりでなく、慣れ親しんだ全てのものを奪い取ったのだ。そして、帰る場所さえも・・・・・。
ここ、神原さんの借りてくれたアパートは家具、家電つきで、持ち物といえば修学旅行に出かけたときの旅行バックひとつといったあたしには心底ありがたいものだった。
10畳ほどの部屋に作りつけられたダイニングテーブルにノートを広げて、頬づえをつく。
レトルトカレーを突っ込んだ鍋があげるしゅんしゅんという音を聞きながら、あたしは今までの出来事を整理していった。
まぁ、『ファティマの預言書』とかの話は誇大妄想だとしても、あたしには『ゆらぎ』とやらから、狙われる理由があるのだろう。ヤツは繰り返し『継承者』と呼んだのだから。
それが母の残したトランプの『継承者』だとするなら、トランプが謎を解く鍵ということになりそうだ。あたしは神原さんから渡されたトランプの存在をバックのうえから確かめる。
あっ、鍋・・・・・!
レトルトカレーを温めていたのを忘れていたあたしは勢いよく立ち上がった。その拍子に膝の上に置いたバックを床に落としてしまう。最悪なことに口が開いていたせいで、中のものはすべてぶちまけられている。
まぁ、後から拾えばいっか。あたしはとりあえず、キッチンに向かった。
「腹が減っては、戦は出来ないってね」
冷蔵庫の上に置かれたデジタル時計がパランとめくられ、14:16分を示す。とたんにお腹がグーとなる。 トレイに山盛りのカレーライスと春雨サラダ、ミネストローネを乗せて部屋に戻ろうとしたあたしはしばし、自分の眼を疑ってしまった。
「・・・・・・なっ!」
なんと、そこには『キングアーサー』ばりの騎士様が例のトランプを手に不機嫌そうに立っていたのだ。我ながらよくもまぁ、トレイを落とさなかったものだと思う。
午後の光にきらめく白金の髪は肩に届くほど。そして、大粒のブルーサファイアは物憂げな三白眼で、高い鼻梁へとつづく。薄い口唇が歪められているのさえ、まるで映画のワンカットのよう・・・・・。
モデル並みの身長と鍛えられた体躯まで持ち合わせた男はハリウッドスターも及ばない恐ろしいほどの美貌の持ち主だった。たとえるなら、ギリシア神話の太陽神アポロン降臨といったふう。
「Who are you?」
あたしは少しも眼を離すことができないまま、唐突に登場した美神に片言の英語で話しかけた。
「記憶力の欠如」
男の第一声はなんとそれだった。聞きほれてしまうほどの美声だというのに、妙に無機質。
でも、このときのあたしはどう見ても、欧米人な目のまえの男が流暢な日本語をしゃべったことにただただ驚いていた。
「日本語、しゃべれるんですか?」
「あなたはとことん、記憶力がないようですね。
そのうえ、危険予知能力も低い」
むっ!なんで、不法侵入してる外人に罵倒されなきゃいけないわけ?あたしはトレイを置くと、テーブル越しに男を睨んでやった。
「危険予知能力って・・・一体、なにいってるんですか!」
こっちがいい加減、腹を立てているというのに、男は不機嫌そうに眉を寄せたままで。しかも次の言い草がさらにむかつくのよ!
「あなたはバカですか?
いきなり見知らぬ男が現れたら、誰かと聞くより逃げるべきでしょう」
「逃げる・・・・・?」
「そう、こんなふうにされないうちにね」
「えっ、なにっ・・・・・?」
いきなり肩を掴まれて、後ろの壁に痛いくらい叩きつけられる。二本の腕が作り出す甘やかな牢獄の中、容赦なく髪を掴んだ白い指に思いのまま仰向かされる。
それなのに、男の瞳を覗き込んだ刹那、がたがたと震えが止まらなくなってしまった。まるで、雷に怯える小さな女の子のように・・・・・。
彼の瞳は夜闇を切り裂く一条の光、罪人を断罪する。
人の形をした稲妻は冷たい手を頬に伸ばし、接吻(くちづけ)という罰を課そうとした ―――― 。
「あんたの・・・したいことをしたらいいじゃない!」
あたしはやけっぱちになって叫んだ。
もし、自身を差し出した代償に彼という剣を得られるなら、この見知らぬ男に抱かれてやってもいい。神の雷など恐れるものか。あたしは運命に復讐すると決めたのだから。
「これ以上、無くすものなんかあたしにはないのよ」
あたしは口唇を突き出すと、大人しく瞼を閉じた。
「緋奈・・・・・・」
ふいに男の腕が緩む。あたしは激情という名の稲妻が鎮まったのを知る。
「導きの騎士さん、あなたの名前は・・・・?」
男は一瞬眼を瞠ると、ぴくりと顔を上げた。
「ラ・イール・・・・」
「ラ・イール。『怒れるもの』という意味ね。それは苗字?」
「いいえ。あだ名です。
本当の名は、エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール」
「ふぅん。じゃあ、エティエンヌ。知ってることを話してくれる?」
あたしはさらりと言うと、恐ろしいほどこの部屋に不似合いな騎士様に向かいの席に座るように促した。
だが、エティエンヌはいつまで待っても座ろうとしない。いいかげん痺れを切らしそうになった頃、ようやくぽつりといった。
「ラ・イールと呼んでいただけませんか?」
「いや!」
一言の元に断ってやる。すると、エティエンヌは眉をピクピクと動かしながら、顔を引きつらせた。
「あなたのお母様はわたしをラ・イールと呼んでくださいました」
「だから・・・・?」
「ラ・イールと呼んでください!」
「いや!だってあんた、あたしのこと緋奈って呼んだじゃない。
だから、あたしもあんたのことエティエンヌって呼ぶわ!」
エティエンヌはがっくりと肩を落とした。
ふふっ、やった。 VICTORY!対人関係はね、最初が肝心なのよ。どうせ顔じゃ勝てないんだから、立場くらい優位にしなきゃね。
あたしは青筋の浮いたエティエンヌの顔を見ながら、もう一度くすりと笑ってやった。