聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜3

第一章 ファティマの預言書 A

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 東京都中央区、京橋二丁目 ――― 。
 東京駅から歩いて十分ほどにある、時代に取り残されたような古いビル。
 五階に上がるまでにたっぷり三十秒はかかるだろうエレベーターに乗り、突き当たりのドアを開けると、ビルと同じ年月を生きてきただろう男があたしを待っていた。

 「紫堂黎子様が遺されたのはこれです。」
 
 小さな、中国人のコックですらダシをとるのを嫌がりそうな、シワだらけの手が差し出した箱をあたしはしぶしぶ受け取った。
 このビルの主、神原という老人は母が雇った弁護士だった。
 初めて会ったのは両親の通夜の晩。もし、この弁護士が弱々しそうな老人でなければ、あたしは彼の言を聞き入れることはなかったろう。
 神原さんはこれといった親戚のないあたしの後見人となり、何くれとなく面倒を見てくれた。そのうえ、絶望に浸りこみそうになったときなど、『このままで、悔しくないのかい』とハッパまでかけてくれた。もし、祖父というものが生きていたら、こんな感じなのかもしれない。

 「ト、トランプ・・・・・?」
 
 母の遺品とはなんと、銀のケースに入った古いトランプだった。
 なんでこんなものを・・・・・。普通、母から娘への遺品といえばもう少し、ロマンテックなものではあるまいか。
 
 「はい。それは代々黎子様のおうちに伝わってきたものだそうで」
 
 神原さんは不器用な手で二人分のお茶をいれ、あたしに勧めてくれるといった。
 そういえば、母方の曾祖母という人はフランス人だったと聞く。外交官だった曽祖父がフランスに駐在していたときに、ふたりは恋に落ちたのだと。
 けれど、もともと身体の弱かった彼女は自らの子供と引き換えに還らぬ人となってしまった。
 曽祖父は仕方なく祖母を連れて、帰国の途についた。だから、母はおろか、祖母さえも曾祖母の顔を知らないのだという。残された写真からすると、儚げな白い花のような美少女であるが。
 おかげさまでというかなんというか、祖母も母も、異国の血が混じったと思えない純日本人的な容貌だった。いくら戦争が終わったとはいえ、見るからにハーフといった外見では、当時の閉鎖的な社会を生きるのは難しかっただろうから、二人とも運がよかったといえる。
 それなのに、何故か二代挟んだあたしと聖樹にはフランスの血が色濃く出てしまった。
 明るい茶色の髪に、琥珀の瞳。すんなりと伸びた手足に、白い肌。たとえるなら、西洋と、東洋のごっちゃまぜ?といったふう。初めて会った人にはたいてい『ハーフなの?』と聞かれる。最近では、いちいち1/8と説明するのも面倒くさいので、『まぁ、そんなとこ』とごまかすことにしている。

 「そんなことより、警察の調査はどうなったんですか?」
 
 あたしは神原さんが入れてくれたお茶を手に取ると、真正面から彼の顔を見つめた。
 母が遺してくれたものとはいえ、なんの役にもたたないトランプより、少しでも犯人の手がかりを知ることの方がはるかに重要なのだ。

 「ガス爆発ということで、調査を終えるようです」
 
 「・・・・・・・」
 
 今までの経過から、彼らがそういう結論を出すだろうとわかっていた。それなのに何故だろう、世界中からそっぽを向かれたような気分になるのは。
 あたしはがたがたと震え、湯飲み茶碗を落としそうになるのを必死で堪えた。

 「それで、聖樹は・・・・・?」
 
 温くなったお茶を一口でごくりと飲む。 

 「それも・・・・・家出ということで決着するようです」
 
 漸くといった態で吐き出した神原さんの声がどこか遠くに聞こえる。彼だとてあたしにこれを伝えるのは辛いはずなのだ。
 だが、あたしはもう、こんな茶番に耐えることができなかった。
 ガス爆発・・・・?
 そんなことがあるもんか。まるで結界でも張ったように紫堂家だけを一瞬にして焼き尽くすなんて。しかも、彼らだって言っていたではないか、『誰も爆発音を聞いていない』と・・・・・。
 彼らは怖いのだ。この事件に関わり続けるのが・・・・・。
 どこからあがったかもわからない火の手。
 ありえないほどの高温で、瞬時に焼かれた家。
 それより何より、存在したはずの人間が煙のように消えうせた、信じられない事実。
 聖樹と冴子の二人は紫堂家が火にまかれる寸前まで電話していて、冴子は携帯の向こう側に両親の笑い声を聞いたという。
 聖樹はあの瞬間、間違いなく家にいた。冴子が帰ってくるのを待ちわびて。それなのに、何故、聖樹の遺体だけがないのか。まるで、瞬間移動(テレポーテーション)でもしたように。

 「わかりました」
 
 あたしは立ち上がった。
 もう、ここには用がない。どんな手段を使っても、両親の敵をとると決めた今、無駄に出来る時間など少しもないのだ。

 「緋奈さん、待ってください!」
 
 神原さんはノブにかけたあたしの手を老人とは思えない力で掴んだ。
 
 「まだ、お話があります」

 いつにない彼の強い調子に驚いて振り返った。
 そこには何かを思いつめた人間がいて、あたしは彼が自分と同じくらい心を痛めているのを知ったのだ。

 「これを・・・・・」
 
 神原さんがソファーに戻ったあたしに白い封筒を差し出してくる。

 「いいですか、緋奈さん。
 あなたのお母様はご自分たちの死を予感しておられました。そして、それに向けてあらゆる準備をなさったのです。
 ところで、あなたは『ファティマの預言書』をご存知ですか?」

 母さんが死ぬのを予感していた・・・・?
 ファティマの預言書・・・・・・?
 あたしの頭は『?』だらけだった。

 「ファティマの預言書とは一九一七年五月十三日、ポルトガルの小さな村ファティマで、聖母マリアが告げた3つの預言のことです。
 第一の預言は『第一次大戦の終結』
 第二の預言は『第二次大戦の時期と核兵器の出現』
 そして、2000年にようやく公開された第三の預言は『ヨハネ・パウロ2世の暗殺』というものでした。
 ですが、当時の法王パウロ6世が、読んだ途端にあまりの恐ろしさに失神したといわれる第三の預言が、ただの法王の暗殺であるわけがありません。
 前法王ヨハネ・パウロ2世は来日した際、あなたのお母様に真実の第三の預言をお話しになったのです」

 そこまでを一気に話した神原さんは冷めきった緑茶を一気に飲み干すと、ハアハアと肩で息をした。
 あのぅ、神原さん。話がでかくなってません?あたしは両親の敵がとりたいだけなんですよ〜

 「ヨハネ・パウロ2世がお話しになった第三の預言とは『ゆらぎの世界侵略と救世の乙女』についてでした」
  
 救世の乙女・・・・ふぅん、まるでジャンヌ・ダルクみたい。神原さんったら年寄りのくせに案外、ロマンテックなんだから。
 あたしはニヤニヤ笑いながら、神原さんを見つめた。

 「それってもしかして、ジャンヌ・ダルクみたいのが現れて世界を救っちゃうってことですか?」
 
 それなのに、神原さんは大マジで、
 「緋奈さん。『ゆらぎ』と戦う救世の乙女とはあなたのことですよ!」と、いってよこした。

 「はぁ・・・・・?
 もしかして、神原さん。インフルエンザに罹って、タミフルを飲んじゃいました?」
 
 七十過ぎても、インフルエンザになるんだぁとおもいながら、あたしは後見人でもある弁護士の顔をまじまじと見つめた。

 「タミフルも飲んでませんし、インフルエンザにも罹ってません!
 緋奈さん、あなた、本気にしてませんね?」

 「やっだぁ。そんなの、当たりまえじゃないですか。
 あたしはキリスト教徒じゃないし、ただのどこにでもいる女子高生ですよ。
 RPGじゃあるまいし・・・・。魔法も使えないのに世界なんか救えません!」
 
 あのね、神原さん。今のあたしは自分のことだって、手に余ってるのよ。
 『乙女』っていうところだけはあたってるけどさぁ。なにせ彼氏いない歴、年の数なんだから。
 うっ、まあ、それはそれとして・・・・・。
 でも、世界を救うなんていうのは、他のお暇な方をあたってちょうだい!

 「RPG、なんですか、それ・・・・?
 まあ、緋奈さんがお信じになれないのも無理はありません。とりあえず、黎子様からのお手紙をお読みいただけませんか?」
 
 神原さんはこめかみを揉み解しながら、ずいっとばかりに手紙を押し付けてきた。
 彼の迫力に負けて手紙を受け取ったあたしは、前髪を止めていたピンをはずし、それを使ってビリビリと一気に封を破った。
 便箋には毎日PCばっかり打っていたにしては、予想外に整った母の文字が踊っていた。

 『紫堂緋奈さま。
 あんたがこの手紙を読んでいるってことは、あたしたちは死んじゃったわけよね。
 でもね、緋奈。親はいつか、あんたより先に死ぬのよ、早いか、遅いかの違いはあってもさ。
 だから、くよくよしなさんな。
 あたしはお父さんとあんたたちに出逢えて幸せな人生だった。少しの悔いもないわ。
 でも、あんたがこれから先、厳しい戦いをしていくかと思うと、ちょっぴり胸が痛むかな。
 そんなあんたにいいお知らせ。そのトランプには素敵なオプションがついてるの。めちゃくちゃいい男。(はぁと)
 でも、惚れちゃだめよ、彼は人間じゃないから。これから先は彼に助けてもらいなさい。
 でもね、緋奈。世界なんて救わなくてもいいのよ。あんたはあんたの、好きなように生きて行きなさい。それだけが、あたしの願いなんだから』

 読み終えたあたしはくすっと笑ってしまった。手紙の中の母さんが相変わらずだったから。
 無類の面白がりに加えて、羨ましくなるくらいポジティブで。あたしはそんな母さんが大好きだった。

 「わかりました。っていうか、まだわからないことだらけなんですけどね。
 まず、トランプのオプションっていうのは・・・・・?」
 
 あたしは上を向き、鼻水が落ちてくるのを防ぎながら言った。

 「代々の継承者を守護する騎士だそうです。
 黎子様は『導きの騎士』といわれていましたが」
 
 ふーん、導きの騎士ね。今度はファンタジーかい。あぁ、忙しい・・・・。

 「それで、その導きの騎士さんとやらには、どうやったら会えるんですか?」
 
 「さぁ、わたしにはわかりません、彼に会えるのは継承者(あなた)だけですから。
 ただ、あなたがそのトランプを持っている以上、そのうち、ひょこっと顔を出すのではないですか」
 
 神原さんはそういうと、くすくすと笑った。
 彼が意味ありげに笑った意味をあとからしみじみ知るんだけど、それどころじゃなかったあたしはその時、必要以上に突っ込まなかった。まぁ、突っ込んどいたからって、アイツの激烈な性格が変わるわけじゃないんだけどね。

 「そうですか・・・・・。
 とりあえず、今日は帰ります。色々ありがとうございました」
 
 きっちゃないトランプを手に事務所を出ようとすると、妙に明るい神原さんの声があたしの背中を追ってきた。

 「緋奈さん。
 わたしは・・・あなたという犠牲がなければ救えない世界なんて、ぶっ壊れてしまってもいいとおもっていますよ」

 「・・・・・・・」
 
 あたしは振り返らずにそのまま頷いた。
 彼の言葉が半信半疑だったということもあるけど、あたしはまだ自分が『救世の乙女』だなんて少しも信じてはいなかったのだ。
 今にも止まりそうなエレベーターから降りたあたしは目が覚めたように、高い秋の空を見上げた。昨夜の雨がスモッグを浄化し、東京の空をきれいに晴れ渡らせている。
 
 少し進展したのかな?
 神原さんは『ゆらぎ』といっていた。たぶん、あのブラックホールのことだろう。
 今まで何の手がかりもなくて、イライラさせられていたことを考えれば、これは間違いなく進歩だといえる。
 だが、今のあたしには世界なんてどうでもよかった。ただ、家族と幸せが続いただろう毎日を奪ったヤツが許せなかった。たとえ、母さんが何の悔いもないといってくれたとしても。
 そう考えると、復讐は死んだ人間のためでなく、残されたものが生きていくために行なうものなのかもしれない。だから、それが為なら、どんなことでもしよう。
 あたしは久しぶりに雲ひとつなく晴れ渡った、首都東京の空にこぶしを振り上げて誓ったのだった。
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