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聖杯を抱くシュヴァリエ 〜Impossible Love13〜 

第3章 智天使(ケルビム)は深く溜め息をつく  C

        W

 
 「緋奈。約束してください。
 何かあったらわたしを呼ぶと。わたしの名を呼ぶと約束してください!」

 あたしの肩を痛いくらいに掴んで、エティエンヌが叫ぶ。
 まるで、溺れるものが何かに縋りつくみたいに・・・・・・。
 あたしはそんなエティエンヌにひどく慌ててしまう。いつも、高慢で怒りっぽい彼が小さな子供みたいに思えて・・・・・・・。
 だから、「エティエンヌ。約束するわ。あなたを絶対に呼ぶと・・・・・」と、思わず答えていた。

 エティエンヌは例えていうなら、守護霊のようなもので。当然、人間ではない。
 だから、体温もなければ、脈打つ鼓動もない。もちろん、涙を流すことすらない。
 けれど・・・・・今、エティエンヌは泣いているだろう。
 身体ではなく、魂が  ――――――  。
 あたしの気配が唐突に消えたことがジャンヌを亡くした記憶をリフレインさせたから。
 
 胸がちくりと痛む。
 あたしはその甘い痛みを抱えたまま、エティエンヌの背中に回した手にギュッと力を込めた。
 青の中の青(Bluest blue in blue)  ―――――  。
 エティエンヌはいつもよりグレイがかったその瞳を瞬かせると、ふうわりと小さく笑う。
 まるで、かくれんぼの鬼が最後の一人を見つけて、『なんだ。こんなところにいたんだ』と、ほっとするみたいに。
 ふいにエティエンヌが左瞼に口づけてきて。 
 反射的にまばたきをした次の瞬間。
 あまりのエティエンヌの変容に、あたしは大きく眼を見開いた。
 冷たい彼の身体から高熱を感じてしまうくらい。エティエンヌの瞳はひとつの色に燃え上がってた。
 それははじめてみるエティエンヌの男の顔で。眉を寄せ、苦しげにクッと喉を鳴らし。肩から回した手であたしの腰を強く抱く。
 怯えたあたしが彼の胸を押しやろうとしても、ぴくりとも動かない。ただ、エティエンヌの思い通りに身体がしなっていくだけ。

 「いやっ・・・・・!」

 その言葉さえ、口唇に触れてきた指に封じられる。
 ゆっくりと、何かを呼び起こすように、白い指先になぞられて。あたしは身体の奥から呼び覚まされた甘い稲妻に全身を貫かれてしまう。
 甘く痺れてしまった身体は少しも動かず。
 ふいに重くなった瞼が閉じられれば、くすりと頭上で笑う声がする。
 エティエンヌに頬を触れられ、悔しいと思っても彼の口唇が落ちてくる瞬間を待ちわびている自分がいる。
 あたしはこの男を知りたいと、知りぬきたいと思う自分を止めることが出来なくなっていた。
 
 エティエンヌの吐息が前髪を撫で、二つの口唇が重なる刹那。
 あたしのお腹の虫がグーとなり。あたしたちは夢から覚めたように我に返り、ぱっと身体を離した。
 けれど、お互いを見つめる瞳だけは離れることがなく。
 エティエンヌは何かに耐えるように口唇を噛みしめ、あたしは強くこぶしを握って。少しの身じろぎもできない。
 いずれ別れるさだめ  ―――――  。
 その運命はあまりにも重くて。
 あたしはこのとき、エティエンヌに出逢わせた運命を初めて残酷だと思ったのだ。

 

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 どんなに悩みがあっても食欲が落ちないのがあたしのいいところだ。
 エティエンヌに『そんなに、食べるのか』とうんざりした顔をされながらも、大盛り2杯のカレーライスを平らげると、あたしは再びキッチンに立った。もちろん、食後のお茶を入れるためである。

 「はい。どうぞ」

 あたしはエティエンヌお気に入りの「ハッピーバレー」という名の、マンゴーをベースにしたフレーバーティーを、これまた彼お気に入りのジノリの白いカップに入れてやると、向かい側の席に腰をおろした。
 あたしのティーカップの中身はもちろん、沈静作用があるというカモミールティーである。
 エティエンヌは食事はおろか飲み物をとる必要さえないのだけれど、一度飲ませてからというものどうやら気にいったらしく、あたしがお茶を入れていると、『今日はこれを入れてください』と注文をつけるようになった。
 彼のこの2.3日のお気に入りは「ハッピーバレー」というフレーバーティーである。
 「ハッピーバレー」をうれしそうに口にしているエティエンヌには先ほどキス寸前までいったときの切羽詰った表情なんてカケラもない。
 いつも通りの、腹がたつほど冷静ですました顔だ。
 けれど、その話を蒸し返すと、このまま世界が滅亡してしまいそうな気がするのでやめておくことにした。エティエンヌは今度こそ、何があっても容赦しないだろうから。
 それに今夜は他に話さなくてはならないことがある。
 あたしはいつもより苦く感じたカモミールティーにひとさじハチミツを垂らすと、躊躇いがちに口を開いた。

 「ねぇ、エティエンヌ。
 シャルルくんの話をするまえにひとつ聞きたいことがあるんだけど」

 「・・・・・・!?」

 エティエンヌはシャルルという名を聞いたとたん、ティーカップに口をつけたまま瞠目した。
 
 「ちがうってば。王太子シャルルのことじゃなくて。
 さっきいったじゃない。転校生の“シャルル・アントワーヌ・モレシャン”くんよ!」

 あたしはエティエンヌの驚愕を彼のかつての主君、王太子シャルルいや、シャルル7世の名前を出したからだと思い、すぐに訂正の言葉を口にした。
 すると、エティエンヌはたちまち、『なんだ』という顔になり、話の続きを眼だけで催促してくる。
 どうやら、先にシャルルくんの話をしないではすまないらしい。
 
 「あのね。友達から幽霊の集会の噂を聞いて、冴子と西城公園にある守ヶ淵に出かけたのよ。
 そしたら、そこで会ったの、シャルルくんに。
 まぁ、そこまでならあたしたちの会話を盗み聞きしてたのかなですむんだけど。
 でも、彼。守ヶ淵の竜神を『どうやら、何百年も人間に悪意を向けられた結果、違うものになっちゃったみたいだね』っていったのよ。
 竜神がゆらぎにのっとられたなんて、あたしかあんたにしかわからないはずなのに変よね。
 ねぇ。エティエンヌもおかしいとおもうでしょ!?」

 あたしはティーカップの中のハチミツをカチャカチャとかき混ぜながら、勢い込んでいった。

 「確かにシャルルという人物は不審におもえます。
 ですが、緋奈。あなたは報告する順番を間違っています。
 真っ先に報告すべきは守ヶ淵の竜神がゆらぎにのっとられたということではありませんか?」

 エティエンヌはそれでなくても冷たく見える三白眼を細めながら、あたしを嗜めた。
 どうやら、あなたには思慮深さが足りないと遠まわしにいいたいらしい。
 あたしはエティエンヌに知られないように、こっそりと溜め息をつく。
 本当に目のまえのこの男がさっきまで、『あたしの元気な顔を見るまで落ち着かなかった』とかピーピー弱気にいってた人間と同一人物なのかと首を傾げたくなってしまう。
 
 あたしは「はいはい。話しがヘタですいませんねぇ」と、プチッとキレかけたんだけど。
 でも、このくらいで怒っていては、到底エティエンヌと長く付き合えない。
 あたしはハチミツを入れて温くなったカモミールティーをゴクリと飲み、気持ちを落ち着かせると、シャルルくんの話を続けた。
 
 「そりゃあ、あんたの言うとおりだけど。
 でも、あたしに繋げたあんたの“眼”を塞いだのはシャルルくんに間違いないと思うわ!」

 ティーカップをガチャンとソーサーに戻しながら、強い口調で言う。
 あたしはエティエンヌがあたしたちが公園を出てから、再び気配が感じ取れるようになったといった時から、シャルルくんを疑わしく思っていた。
 なぜなら、エティエンヌの“眼”が塞がれていたのはシャルルくんと行動を共にしていたときだけだったから。
 けれど、エティエンヌはそう思わなかったらしい。
 まぁ、直接シャルルくんを見ていないのだから、仕方ないのかもしれないけど。

 「緋奈!そんなことは人間には不可能ですよ」

 「なら聞くけど。何故、シャルルくんは竜神がゆらぎにのっとられたとわかったというの!?」

 あたしはエティエンヌの冷静な態度に腹が立ち、先ほどより強く言い募った。

 「ですが、緋奈。彼は竜神がゆらぎにのっとられたといったわけではありません。
 ただ、竜神が人間に悪意を向けられた結果、違うものになったといっただけです。
 それくらいなら、ただのあてずっぽうということもありえます」

 うーん。エティエンヌのいうことはわかるけど・・・・・・。
 あたしはその言葉を言った前後のシャルルくんを見ていたけど、エティエンヌは見なかった。
 だから、エティエンヌには微妙なところがいまいち伝わらないのもしれない。
 それにシャルルくんがあたしのプチストーカーになってるなんて、エティエンヌには絶対にいえないしね。
 
 「じゃあ。シャルルくんのことはもう少し様子を見るわ。
 エティエンヌもそれでいいでしょ?」

 あたしがそう提案すると、エティエンヌはしばらく考え込んでいたが。飲み終わったカップをソーサーに戻すと、思い切ったように口を開いた。

 「そうですね。 緋奈のいう通りかもしれません。
 女性の勘は侮るべきでない。これはわたしの持論です。
 緋奈が彼を不審だと思ったのなら、おそらくそうなんでしょう。
 それに・・・・全てが動き始めたこの時期に留学生ではなく、転校生というのは正直、胡乱に思えます」

 「そうね。エティエンヌのいうとおりだわ。
 なんでシャルルくんは留学生じゃなくて、転校生なんだろう?」

 あたしはエティエンヌがあたしの意見を尊重してくれたことを喜ぶより、何故、シャルルくんが転校生なのかに気をとられてしまい、不思議そうに首を傾げた。

 「そのあたりは緋奈が彼から聞き出してください。
 それより、あなたがわたしに尋ねたいこととはなんですか?」

 あたしはシャルルくんのことで頭がいっぱいになり、その質問をするのを忘れていたことに気づいた。

 「あっ!そうそう。
 ジャンヌ・ダルクは全てのファクリティを得ていたのかなと思って」

 エティエンヌは『ジャンヌ』の名前が出た瞬間、息が止まったといったような顔をした。
 そして、『青の中の青』の瞳を再び、グレイに翳らせる。

 「全てのファクリティを得ていましたよ、ジャンヌは。
 ただ・・・・・ゆらぎを封印するためのファクリティ(特殊能力)を得ていなかったのです」

 「えっ!12人のルーラー(支配者)から以外のファクリティも必要なの!?」

 あたしは驚愕に眼を見開いた。
 12人のルーラーからファクリティを集めるだけでも大変なのに、その他のファクリティまで必要だなんて。一体、どれだけのゆらぎを倒さなくてはいけないんだろう。
 あたしは自分の上にものすごく重たい何かが落ちてきたような心地がした。
 それでも、けして引き返しはしない。
 あたしに必要なのはやるかどうか悩むことじゃなく、一度やると決めたことを最後までやりとおすことなのだ。
 それに、あたしは一人じゃない。
 自分だってジャンヌのことを思い出して辛いだろうに、痛ましそうにあたしをみつめるエティエンヌがいるから。たとえ、天が地に落ちてこようと、海が山を飲み込もうと、立っていることができるのだ。

 「ジョーカーのファクリティですよ、緋奈。
 トランプはタロットカードが前身であり、ジョーカーはタロットカードの「THE FOOL」(愚者)と同じものと考えられています。
 そして、「THE FOOL」の持つ意味とは“ゼロからの始まり”。
 ですから、ジョーカーのファクリティを得ることで、ゆらぎは封印され、世界は新たに出発することが可能となるのです」

 あたしはエティエンヌの言葉に大きく頷いた。
 もちろん、ゆらぎを倒し、世界が再出発しても、父さんと母さんはけして生き返っては来ない。
 けれど、ゆらぎを倒せたら、あたしもいちから出直すことができるような気がする。おそらく、その時、エティエンヌは隣にいないだろうけれど。
 あたしはすっかり冷めたカミールティーをいっきに飲み干しながら、その瞬間が早く来て欲しいような、永遠に来て欲しくないような二律背反な気持ちに戸惑ったのだった。


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 重くどんよりとした空  ―――――  。
 エティエンヌと早朝。剣の稽古を始めたときはまだ薄日が差していたのだけれど。
 冴子と待ち合わせているコンビニに向かう頃になると、鈍色の雲が重く垂れ込めていた。
 あたしたちは学校に着くと、いつものように教室のドアをガラリと開ける。
 けれど、クラスメートの雰囲気は今日の天気よりもさらに重かった。

 「シャルルくん。何があったの?」

 あたしは昨日のことなどすっかり忘れて、隣の席に陣取るシャルルくんに声をかけた。
 彼に手招きをされて、誰もいないベランダにシャルルくん、冴子、あたしの順番に出て行く。
 シャルルくんはまわりに誰もいないのをもう一度確かめると、ふうとひとつ溜め息をついてから、小さな声で話し始めた。
 
 「昨晩。クラスメートが5人、行方不明になったんだよ。
 これは僕の推察だけど。彼らは僕達が帰った後、守ヶ淵にいったんじゃないかな?」

 「・・・・・・・!」

 あたしは・・・・・あたしと冴子は、あの父母を失った冷たい雨の振る晩以来の衝撃を受けて、今にも雨が落ちてきそうに冷え込むベランダに呆然と立ち尽くした。
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