聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜12
第3章 智天使(ケルビム)は深く溜め息をつく B
V
「アレはなんだったのかしら、緋奈?」
冴子は『緋奈を送っていく』と強硬に主張するシャルルくんを、『あなたのほうが送り狼になりそうですから、結構ですわ』と、ばっさり切り捨てると、あたしの腕を掴み、だっと走り出した。
そして、200メートルくらい走り、シャルルくんがついてこないのを確認した後、先ほどのセリフをおもむろに切り出してきたのだ。
アレとはもちろん、プチストーカーのシャルルくんのことではなく、守ヶ淵の水面を騒がしていたヤツのことだろう。
実はあたしは迷っていた。先ほどの冴子の怯えた様子から、もう彼女を巻き込むべきではないのかと。いや、本当はずっと前から迷っていたのだ。
冴子が行方不明の弟、聖樹を心配してくれるのはありがたい。けれど、その一事だけで彼女をゆらぎ退治に加えるのはどうなんだろう。
今のあたしのファクリティでは自分の身を守ることさえ危ういし。何か事があった時、冴子を守る事など到底出来はしない。それは警察官をのっとったゆらぎの時で身にしみている。
それに・・・おそらくエティエンヌは・・・・何の躊躇いもなく冴子を切り捨てるに違いない。あたしを、ジャンヌの末裔を守るためなら ――――― 。
ならば、冴子にはこのまま何も知らせないほうがいい。
あたしはそう結論を出すと、
「ああ。そういえばシャルルくん。竜神が変なものになったとかいってたねぇ。
でもさ。ゆらぎがのっとるのは人間だけだし、幽霊の集会とゆらぎは関係ないんじゃないかな?」と、さも不思議そうに首を傾げていった。
まったくの嘘である。
ゆらぎが竜神を餌食にしたとあたしの右手は教えているし。聖天使ガブリエルの徴はゆらぎにのみ、反応するのだから。
しかも、徴の熱は警官のときと比べものにならないほどに高いのだ。
それが教えることは ――――― なおさら冴子を巻き込むことなどできない。
すると、冴子は、
「あんたが急に帰ろうといいだすから、アレの正体が何かわかったのかとおもったわ!」と、声を尖らせた。
「しかも、あんた。めずらしく真剣な顔したし・・・・」と、続ける。
「あっ。ごめん!
今日は朝からエティエンヌにしごかれるわ、シャルルくんにへばりつかれるわで、すっごくお腹空いちゃってさぁ。だから、一刻も早く帰りたかっただけなのよ〜」
あたしはお腹を押さえると、情けない表情を冴子に向けた。お腹が空いているのは事実だから、まさに迫真の演技である。
冴子はとたん、ものすごくいやな顔をした。
こんな緊張感のないヤツと親友になったのはものすごい失敗だったのじゃないかしらん、という顔つきである。
「あんたには本当にあきれちゃうわ。
でも・・・・・」
冴子はそういうとまじまじとあたしを見つめた。
そして、数瞬後。
「あんたがあたしのことを心配して何も教えないのはわかるから、これ以上何も聞かないわ。
それに・・・・。
あんたが力を合わせなくてはならないのはあたしじゃなくてあんたの騎士様だもの。
あたしはそれを忘れていたのかもしれないわ」と、地面に眼をふせながらいった。
どうやら、あたしの演技はばれていたらしい。 さすが冴子である。
けれど、あたしは冴子の言葉に頷くだけにとどめておいた。
彼女の性格からすれば、ひとたび知ってしまえば関わらないではいられないのだから。
「それにしてもシャルル・アントワーヌ・モレシャン。本当に失礼で、胡散臭いわ!
ゆらぎだって、あの男に比べればずっと紳士よ」
冴子はもう一度後ろを確認すると、吐き捨てるようにいった。
まだ5時だというのにあたりはすっかり真っ暗だったから。ようやく公園を出られたことにほっとした冴子の吐く言葉は実に辛らつだった。
けれど、胡散臭いというあたりはまったく同感だ。
守ヶ淵で彼と会ったのはあたしたちの会話からそれと知ったからと思うが。
『どうやら、何百年も人間に悪意を向けられた結果、違うものになっちゃったみたいだね』というセリフにいたっては、ただの勘のいい人間では済まされないだろう。
あたしの中でゆらぎではないが要注意人物というくくりに“ シャルル・アントワーヌ・モレシャン”が入れられたのはいうまでもない。
「確かに・・・・・」
冴子の言葉に頷いてみせてからあたしは、しんしんと冷え始めた夜空に浮かぶシリウスを見つめた。
木枯らしはとうに止んでいたが、白色の星がゆらゆらと揺れるが如く瞬く。
−1.5等星。全天で一番明るい大犬座のシリウスは『焼き焦がすもの』の異名を持つ。
あたしは南天の星空を見上げながら、シャルルくんがまるでシリウスのようにあたしのこれからを焼き焦がしていくような予感がしてならなかった。
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『うちによってご飯を食べていきなさいよ』という冴子の誘いを断って、あたしはそうそうにアパートに戻ることにした。冴子の小父さんも小母さんもいい人だけれど、今は正直、誰かに気を使うのが面倒くさい。
『ごめん。一昨日、カレーを作りすぎちゃったから、今日は家で食べるね』
大鍋に一杯カレーを作ったのは事実だったし、あたしはバイバイと冴子に手を振った。
けれど、冴子は『残念ね』といってから、意味ありげに笑い、『くれぐれも処女は死守してね』と、いってくれやがったのだ。
あたしは思わず、持っていたバックを冴子に投げつけていた。
それでも冴子はなおもふふと笑いながら、コンビニの角を曲がっていったのだけれど、あたしはその背中に思いっきりあっかんベーをしてやった。
けれど、ひとりでアパートへの道を歩き始めると、不思議と胸の鼓動が高鳴り。あたしの頭の中を冴子がいった『あんたは彼が好きなのよ』という言葉が廻り始める。
あたしは冴子の誘いを断ったことを少しだけ後悔しながら、202号室のロックを躊躇いがちに外した。
ドアを閉めて、ふふと笑う。
部屋の中は真っ暗でエティエンヌがいる気配なんかこれっぽっちもない。
昨夜焚いたラヴェンダーのお香とカレーの匂いが混じりあい、なんともいえない妙な臭いを醸し出しているだけだ。
あたしは手探りで玄関のスイッチを見つけ出すと、それをONにした。
すると、その手をいきなり掴んだものがいる。
「きゃあ」という言葉を飲み込むと同時に照明がつき、恐ろしいほど整った顔がドアップであらわれる。
狭いアパートの一室に不似合いな、世界で一番美しい男が ――――― 。
刹那、脈拍がふいごの如く速くなり。あたしは『あんたは彼が好きなのよ』という冴子の言葉を認めざるを得なかった。もちろん、けして認めたくはなかったけれど。
けれど、エティエンヌの顔はそんなあたしの惑いを吹き飛ばすもので。怒りといらつきと哀しみ、そんなものが一緒くたになった感情で満ちていた。
「えっ・・・・!?」
ふいに抱きしめられる。
エティエンヌの力強い腕に抱きしめられるのは二度目だ。
初めて逢った時と、今と。
あたしは張り裂けんばかりの胸の鼓動が伝わらなければいいと願いながら、彼の名を小さく呼ぶ。
「エティエンヌ・・・・・?」
エティエンヌはなおもあたしをぐいぐいと抱きしめながら、
「あなたを・・・また、失ったかと思ったのです」と、身体じゅうから絞り出すようにいった。
「?」と思ったが、それでもあたしはエティエンヌの背中を幼子にするようにゆっくりと撫でてやる。
それを何度も繰り返すと、彼はようやく落ち着いたのか、ぽつりぽつりと話し始めた。
「緋奈の右手が熱を帯びたのに気づき、あなたの気配を追っていました。
けれど・・・・・。最高に熱くなったのを境に消えてしまい・・・・・・。
ああっ!600年生きてきて初めてです。ルールに縛られたこの身がこれほど厭わしく思えたのは」
エティエンヌがもう一度、痛いくらいにあたしを抱きしめる。
ああ、そうか。エティエンヌは継承者以外の人間のまえに姿を現す事を許されていない。
冴子のときはあたしの命がかかっていたから、特別だったのだろうが、今回は・・・・・。
シャルルくんがいて、しかも昼間では、どんなに心配でも場つなぎしてくることが出来なかったのだ。
「あなた方が公園を出た辺りで、緋奈の気配を感じ取ることは出来ましたが。
それでも・・・こうして元気な顔を見るまでは落ち着かなくて・・・・・・」
エティエンヌの「青の中の青」(Bluest blue in blue)の瞳が今、グレイに翳っている。
こんな動揺したエティエンヌを見るのは初めてだった。彼はいつも高飛車で、怒ってばかりだったから。
あたしは自分がいかに彼に心配をかけたかを知り、エティエンヌをぎゅっと抱きしめ返すと、何度も「ごめんね」と謝罪の言葉を繰り返したのだった。
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