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聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜11

第3章 智天使(ケルビム)は深く溜め息をつく A

      U
 

 「そこのふたり、出てきたら?バレバレだよ」

 あたしたちは後ろも振り返らずにかけられた声に飛び上がった。
 隣で冴子が「まさかあの男。あんたの匂いに気づいたんじゃないでしょうね」と、舌打ちをしながら呟く。
 
 「ははっ。それこそまさかだよ」

 と、答えながらあたしも内心では『シャルルくんなら、ありかもしんない』と、こっそり考えていた。
 だって、初対面のはずなのに、あたしに対する懐きっぷりがすっごく異常だったんだもん。
 普通、人間に対して懐くなんて言葉はあまり使わないけど。彼だけは例外。
 シャルル・アントワーヌ・モレシャンだけは  ―――――― 。
 今朝、彼がどっかり腰を下ろしたあたしの隣の席は遅刻した某男子生徒のものだったんだけど。
 シャルルくんは遅れて登校してきた男子に『まさか、僕と緋奈の仲を引き裂くなんて、無粋なこと言わないよね』と、強烈なエンジェルスマイルで脅かしやがったのだ。
 もちろん、彼はすごすごと引き下がり、空いてる他の席に移っていったのだけど。
 その後もシャルルくんは一事が万事そんな調子で、一日中あたしの傍にべったりとへばりつき、転校生をめずらしがるクラスメートさえ寄せ付けなかった。
 クラスメートたちはおそらく、あたしたちを昔からの知り合いか何かだと誤解したと思う。本当はバリバリの初対面だっていうのにさ。
 でも、シャルルくんに迷惑を被ったのはあたしだけじゃない。冴子もだ。
 彼女は休み時間の度、『幽霊の集会』の善後策を詰めようとあたしのとこに来るんだけど、話しをさせてもらえずじまい。
 だから、あたしと冴子がようやく話すことができたのは3時間目の終わり。しかも、トイレの中。
 まぁ、いくらシャルルくんがプチストーカー状態でも、女子トイレまではついてこれないものねぇ。
  
 冴子はトイレのドアを閉めるなり、
 『まったく、信じられないわ、あの男!』と、ぷりぷりと怒りだした。
 あたしも冴子の言葉にうんうんと頷く。
 日本に不慣れな転校生だと思うから許してるけど、初対面の相手に恋人同士のように接されるのも、手に何度もキスされるのも、正直ごめんだ。
 もしかしたら、フランスという国はエティエンヌといい、シャルルくんといい、セクハラ男を量産しているところなのかしらん?あたしはフランスの女性に少しだけ同情してしまった。
 だから、冴子のシャルルくんに対するイメージが今世紀最悪になったとしても、それは彼の自業自得で、同情の余地はまったくない。 

  
 「あら。よくわかりましたわね。
 モレシャンくんの前世は犬だったのかしらぁ?」

 と、皮肉たっぷりに冴子。
 実は冴子には腹を立てると、言葉遣いが妙に丁寧になるという癖がある。まぁ、彼女はもともといいところのお嬢様だしね。
 
 すると、シャルルくんは、
 「そんなに見てますってオーラ出されたら、誰だって気づくよ」と、さもうっとうしそうに答えた。

 そして、あたしにウインクをして「緋奈が可愛がってくれるのなら、犬になるのもそう悪くはないけどね」と、続けた。

 冴子が不満げにふんと鼻を鳴らす。
 どうやら、とことんシャルルくんが気に食わないらしい。
 
 「それにしても、モレシャンくんはどうしてこんなところにいらっしゃるのかしらぁ?」

 そう尋ねたと同時に冴子はしぶしぶといった態で木の影から出て、シャルルくんのいる池のふちまで近づいていった。あたしも仕方なく後を追っていく。
 冴子の口ぶりからさっするに、シャルルくんを“ゆらぎ”関係者だと疑っているようだ。
 そりゃ、このタイミングでの転校生だし。
 あたしには男の子に一目ぼれされる魅力なんてちいともないから、疑って当然かもしれない。
 でも、あたしはまだ短時間しかシャルルくんを見ていないけど、彼が“ゆらぎ”ではないと確信していた。
 彼に“ゆらぎ”にどうこうされるような心の隙があると思えないし。いい意味でも、悪い意味でも自分というものをしっかり持ってるプライドの高い人だと思うから。 

 「僕の緋奈をこんなあぶないとこに行かせるのが心配だからに決まってるだろう!」

 シャルルくんが腹立たしげに答えた、その時だった。
 少しおさまったふうに思えた木枯らしが周囲の木をざわざわと鳴らし、守ヶ淵の水面を揺らしはじめたのは。
 と同時に、あたしの右手が焼け付かんばかりに熱を帯びていく。

 「ふふっ。どうやら彼は僕達に自分の存在をアピールしたいみたいだね」

 と、シャルルくん。
 相変わらず、あたしにエンジェルスマイルを向けたまま、緊迫感のカケラもない。

 「なんのこといってるの、シャルルくん?」
 
 あたしは急に波立ち始めた水面を見つめながら、初めて口を開いた。

 「この池の主のことだよ、緋奈。
 竜神だとかいわれてるそうだけど。
 どうやら、何百年も人間に悪意を向けられた結果、違うものになっちゃったみたいだね」
 
 シャルルくんは『久しぶりに見た子犬がすっかり大人になっていたんだ』と、話すのと変らぬ口調でいう。あたしが驚いて声も出ないのとは対照的に・・・・・。
 そこへ冴子がいきなり口を挟んだ。

 「モレシャンくん。あなた、頭がおかしくなったんじゃないでしょうね。
 あなたの話を聞いてると、竜神がほんとにいるみたいに聞こえるけど?」

 本当は冴子だって感じているはずだ、天敵の存在を。
 たとえ、人間がどんなに万物の霊長と偉ぶっても、生きとし生けるものである限り、動物の本能から逃れられない。
 そう、捕食される恐怖からは  ――――― 。
 
 あれだけ強く吹いていた風が不意に止まって。
 3人の間に緊迫した空気が流れると、冴子が暗闇に怯える子供のようにぶるぶると震え始める。
 
 「へぇ〜。きみは竜神が存在しないとおもってるの?」

 シャルルくんは冴子の怯えた様子を面白いおもちゃでも見るように見つめてから、嫌味っぽくいう。
 どんなときでも彼はあたし以外の人間に容赦する気はこればっかりもないらしい。

 「ちょっと。こんなときに質問に質問で返すのは止めてちょうだい!」

 刹那、『守ヶ淵』の水面にざざと大きな波が立つ。
 冴子はひぃと声をあげて、あたしの肩にしがみついた。
 そりゃあたしだって、この状況を気味が悪いとおもう。けれど、幽霊相手じゃないとわかった以上それほど恐ろしくはない。
 何故なら、家族をいっぺんに失う恐怖を味わったあたしにとって、喰われて死ぬことなど少しも怖くはないのだ。
 
 「まったく、きみは気の短い人だな。
 だからいったろう、竜神は・・・・いないんだって」

 シャルルくんは『竜神は』のところに特に力を込めた。
 彼はおそらく、こういいたいのだろう。竜神は神の地位から堕ち、人の敵にまわったのだと。
 いにしえ、竜神が本当に生贄を欲していたかどうかはわからない。だが、神として畏敬されているうちはまだよかったのだろう。
 気象さえ予想できる現代になると、竜神が洪水や日照りを起こすなどと信じるものは一人もいなくなり。結果、「生贄が捧げられていた淵」という噂のみが一人歩きし、皆がこの場所を忌むようになる。
 例えをあげるなら、『丑の刻参り』が解りやすいかもしれない。
 ただ、とんかんと藁人形に釘を打つだけならば何も起きるわけがない。そこに恨みや憎しみの気持ちを込めることが呪詛となり、相手を陥れるのだ。
 簡潔にいえば、皆が長い間、『守ヶ淵』を気持ち悪いと思ったことが竜神を神の地位から堕としたのだといえる。
 そして、おそらく竜神は  ――――― 。

 「冴子、シャルルくん。帰ろう」

 あたしは西の山に姿を隠していく夕日を見上げるといった。
 全ての魔物が活動をはじめる逢魔ヶ刻になる前に『守ヶ淵』から去らねばならないと、あたしはわかりすぎるくらいにわかっていた。
 それに・・・・『守ヶ淵』に現在棲むものがあたしの予想通りのものならば、今は牽制だけで襲ってこないはずなのだ。
 何故なら、彼らは夜の闇にしか現れることが出来ない定めを負っているから  ――――― 。
 
 ふうと溜め息をつくとあたしは家で待っているはずのエティエンヌを思った。
 いろいろな事件が起こった今日。
 あたしは何故か不思議とエティエンヌの整った顔が見たくなっていた。
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