聖杯を抱くシュヴァリエ〜Impossible Love〜1
プロローグ
わたしは・・・・・彼を愛する。
たとえ、ヘロディアスの娘サロメのように、彼の首しか手に入らないとしても・・・・・。
ただ一度、その冷たい口唇に接吻(くちづけ)たいがために、わたしは・・・彼を愛する。
1431年 5月30日 ――― 。
北フランスのルーアン、ヴュー・マルシェ広場。
高くしつえられた火刑台に括りつけられた少女の名は「ジャンヌ」。
彼女は今、異端の罪によって裁かれようとしていた。
(ラ・イール。こんなところまで・・・・・)
ジャンヌは群衆の中にかつての右腕であり、恋人でもあった男を見いだした。
オルレアンからルーアンまでの数百キロ、どれほど駆け抜けてきたというのか、ラ・イールの白金の髪は汗と泥にまみれていた。
(ジャンヌ・・・・・。ジャンヌ・ラ・ピュセル。
わたしは貴女をお救いすることが出来なかった。
だから・・・・・こんなわたしにできることといえば、貴女の最期をこの眼に焼き付けることくらいです。
愛しています。わたしは未来永劫、貴女だけを愛し続けるでしょう)
ジャンヌはまるで、男の言葉が聞こえたかのようにうっすら微笑むと、天を仰いだ。
『イエス様・・・・・』
彼女は一言そう呟いたっきり、二度と瞼を開かなかった。
刑吏が幾重にも積まれた柴に火をつける。それは瞬く間に紅蓮の焔となって、小さな少女の身体を舐めていく。
炎に抱かれた救世の乙女は、最後の瞬間(とき)に何を想ったのだろう。己の短い人生か、それとも恋人との思い出だろうか・・・・・。
たとえ、彼女の目交に何が浮かんだにせよ、けしてそれを斟酌してはならない。
人がひとりで生まれ、ひとり死んでいくことが神代からの約束だとすれば、死に臨んだ想いは人知れず、天園まで持っていくべきものなのだから。
火刑で焼かれたジャンヌの灰がセーヌ河を流れていく。それは魔女の甦りを封じるための仕儀である。だが、火刑にあったものはほんとうに甦らないのであろうか。
いいや、違うとラ・イールは思った。
重い代償を払わされたジャンヌは来世こそ幸せにならなくてはならない。たとえ、その隣に自分の姿がないとしても・・・・・・。
ラ・イールはひざまずくと、ジャンヌの永劫の幸福を神に祈ったのだった。
【追記】
後に、聖女の列に加えられる『ジャンヌ・ダルク』だが、彼女の異端の罪は現在も取り消されてはいない。
プロローグ
弓張り月 ―――― 。
その夜空に浮かぶ宝剣を焦がれるほどに欲した時があった。
だが、月の宝剣は神々のもの、人の手には余る剣なのだ。
それに、欲した力は今、この腕のなかにある。
「何を見ているのですか?
風邪をひきますよ」
耳障りのいい声が後ろからする。あたしはその声に振り返らなかった。今夜の月があまりにもきれいだったから。
「月をね、見ていたんだ・・・・・」
小さなアパートに不似合いな大きい窓いっぱいに三日月が映っている。あたしはそれを窓を開け放したまま、見ていた。
「・・・・・思い出していたのですね」
「うん」
あたしが仕方なく振り返ると、そこには中世の騎士の衣裳を纏った青年がいて、真っ青な瞳を翳らせながらこっちを見ていた。
彼の名は『エティエンヌ・ステファン・ド・ヴィニョール』
この舌を噛みそうな名前をもつ青年は、実のところ人間ではない。
いや、元人間といったところだろう。本人は守護霊のようなものだといっていたから。
エティエンヌはあたしの母が遺したトランプに付いてきたオプションで、『導きの騎士』というものらしかった。いくら銀で象嵌されたケースに入っているとはいえ、古くてきっちゃないトランプのオプションとしては豪華すぎるかもしれない。エティエンヌは何せ、騎士様で、女が求める王子様の条件をすべからく満たしているのだから。
月光を紡いで創ったような白金の髪に、真昼の青空の瞳。まるで、昼と夜の具現といったふう・・・・。彼に見とれない女など、この世に一人としていないだろう。
だが、あたしにとってエティエンヌはただの相棒。もっというなら、利用すべき相手だ。
「エティエンヌ。行くよ!」
あたしはもう一度名残惜しそうに、弦月に眼をやると立ち上がった。
月光をうけて、手のひらに継承者(サクセサー)の徴(しるし)が浮かび上がる。
あたしはそれをぎゅっと握り締めた。この運命を与えた、すべてのものに復讐するために・・・・・。