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公孫樹〜花鎮祭〜4

第二章

     T


 校門を出ると、忍(おし)の森の上に朱(あか)い月がでていた。
クレーターがわかるほどくっきりとした、それでいて見るのが怖ろしくなるような満月だ。

 私立青嵐学園は、小高い丘の中腹にある。そのため、周囲に人家が少なく、日が暮れると、人通りが途絶えてしまう。
 あたしは、後方の、たったいま出てきた学校の明かりに、励まされように歩き続けた。

 指先がこごえている。緊張のせいかもしれない。
 あたしは、両手をこすり合わせると、制服のポケットに突っ込んだ。
 それと同時に、左ポケットで、携帯のバイブが重たい音をたてて動き出した。ぴくっと身体が震える。

 着信は沙耶(さや)からだった。
 ボタンを押して携帯を耳に当てると、聞こえてきたのは、荒い呼吸音と、喉からしぼりだしたような声。いつもの甘さなどカケラもない。

 「もしもし・・・・・・美月。あたし、なんだか・・・身体が・・・・へ」

 沙耶は、熱に浮かされたように話し、それさえもふいにとぎらせる。
 続いて、大きなものが、どさりと倒れる音。

 「沙耶?どうしたのッ〜〜〜〜!?」

 あたしは、携帯を強くにぎりしめて、絶叫した。
 しかし。
 聞こえてくるのは、ツーツーという無機質な音声だけ。
 あたしは、沙耶の名を呼びながら、急な下り坂をいっきに駆け下りた。

 シャッターが閉じた店ばかりになった商店街を抜け、古びた市営住宅を左、昔、タバコ屋だったクリーニング店の角を右に曲がれば、沙耶が母親と住むアパートが見えてくる。
 ペンキのはげた鉄製の階段を、甲高い音をたてて駆け上がると、あたしは二〇三号室のインターホンを、しつこいくらい鳴らしつづけた。

 答えがない。
 あ、そうだ。こんなときのために、牛乳入れの下に合鍵を貼り付けていたはずだ。

 (あった・・・・・!)

 あたしは、合鍵を鍵穴に差しこみ、ドアを開けると、あかあかと電灯が灯っている室内に、親友の姿を探し求めた。

 「沙耶・・・・・・・・!?」

 ダイニングから自分の部屋に戻ろうとしたのだろう、沙耶は冷たい廊下にぐったりと倒れていた。

「沙耶、沙耶、沙耶ッ・・・・・・・!」

 ひと目で、高熱があるとわかる赤らんだ顔。
 何度、身体を揺さぶっても、沙耶の意識はもどらない。喪失の予感に頭が真っ白になる。
 あたしは、沙耶にすがり付いて泣き出してしまいたかった。
 けれど、彼女は、ただの親友ではない、この世でたったひとり、家族と言える存在。
 小学四年のころ、父親に捨てられたと泣くあたしの背中を撫でながら、『あたしが、あんたの家族になってあげる。これからは、ずっと一緒だよ』といってくれた。
 そして、彼女は、その言葉どおり、本当の姉妹のようにずっと一緒にいてくれた。そんな沙耶を、なんの手も尽くさないで失えるわけがない。

 あたしは、沙耶の身体をもう一度、床に横たえると、すっくと立ち上がった。

 (まず、救急車。それから、おばさんに連絡!泣いてる暇なんかないのよッ!)

 自分をしかりつけ、携帯のボタンを震える手で、それでも確かに、“119”と押していく。つづいて、おばさんの会社にも、同じように電話する。
 あたしは、電話をかけ終えると、緊張の糸が切れたようにへたり込んでしまった。

 救急車が到着するまでの短くて、長い長い時間。
 壊れるほどにぎりしめた携帯を右手からはがすと、親友の涙がにじんだまぶたを見つめた。沙耶のふせられた長い睫毛が、ときおり苦しげに震える。

 あたしは、こんなときだというのに、沙耶が自分の睫毛にマッチ棒を乗せ、面白がっていた中学のころを思い出していた。

 『あたし、美月みたいに頭が良くないから、お金を稼ぐには玉の輿しかないなぁ〜』

 沙耶は、三本目のマッチ棒をおそるおそる乗せるといった。
 我が家と反対に、沙耶の家は母子家庭。母親の苦労を見ながら育った彼女は、お母さんに楽をさせてあげたいが口癖だった。

 ようやく、救急車がアパートの前に到着した。
 サイレンを鳴らして走る救急車に同乗しながら、あたしは、沙耶の汗が浮き出たひたいを、そっとぬぐってやった。


        U


 救急病院に収容された沙耶は、すぐ処置室に運ばれた。
 しかし。
 処置中のランプは、一時間たっても消える様子がない。それに、沙耶のおばさんもまだつかない。
 不安になったあたしは、もう一度、沙耶のおばさんに電話をかけることにした。
 でも、病院内は、携帯電話の使用は禁止である。
 あたしは、仕方なく非常口から外に出ようとして、医師と看護師の会話を漏れ聞いてしまった。

 10畳ほど広さのカンファレンスルームの中。
 太った赤ら顔の中年医師と、がりがりの三十路をいくつか過ぎた看護師が、深刻そうに話しこんでいた。
 中年の医者が、パイプイスを揺らして貧乏ゆすりをはじめたのを、ぴしゃりと叩いてやめさせた看護師は、青ざめた顔で大きくかぶりをふった。

 「もう限界です。
 看護師は皆、三日も家に帰ってないんですよ」

 「だが、高熱で運ばれてくる患者は、これからも増えるに違いない。
 それに、ベッド数の残り五床が埋まるまで患者を受け入れつづけろと上からお達しが出ているのだよ」

 中年医師は、あきらめ顔で答えた。
 けれど、そう答えた医師自身さえ、もう幾日も家に帰っていないのだろう、ワイシャツは汚れ、あごにうっすらと無精ひげが伸びている。

 「はい、そうおっしゃるでしょう、理事長なら。
 でも、あの病気を、坂田のおばあちゃんが言うように、崇りと考えたことはありませんか、医長?」

 看護師は、声を潜めた。

 「よしたまえ、仮にも医療従事者が祟りなどと……」

 医長と呼ばれた医師は、すぐさまそう言い返したが、声にまったく力がない。

 「なら、なぜ薬が効かないんです?
 あの病気の患者さんたちに、わたしたちができることといえば、ただ栄養点滴をする、それだけなんですよ」

 看護師は、病院の経営体質だけでなく、医療の無力をも憤っているのだろう、薄い肩をふるわせた。

 「それに……患者は、子供ばかり。このままでは、そう何日も身体が持ちません!」

 悲痛な叫びだった。
 医師自身も、看護師と同じことを考えていたのだろう、沈痛な顔でタバコに手を伸ばした。
 彼らの上で、ふたつ並んだ蛍光灯のひとつが、ちかちかと瞬き始めた。まるで、黄色いシグナルが点滅をはじめたように。

 背中を冷たい汗がつたっていく。
 なんてことだろう。昨年の春、三百床、ベッドを増床した総合病院の残りベッド数が五床。いったい、忍(おし)市内に、どれほど例の病の患者がいることか。
 しかも、医者にさえ打つ手がないとは。このまま高熱が続けば、沙耶に、子供たちに待っているのは、衰弱死しかないのだ。

 あたしは、暗さを増した通路を、もと来た方向へ戻りながら、自分のできるあるひとつのことについて考えていた。
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