公孫樹〜花鎮祭〜(はなしずめのまつり)〜A
第一章
T
四月。ぽかぽか陽気の日。
昼食をとるにはまだ間がある時刻。
緑の旗に引かれた、初老の男女の一団が、忍城に隣接した郷土資料館へ吸い込まれていく。ベストセラー小説のせいで、このところ増えた観光客たちだ。
その様子をひとりの男がさもうるさげにみやってから、大手門脇の大銀杏の下にどっかりとあぐらをかいた。現代では見ることのない立烏帽子(たてえぼし)に、白い水干(すいかん)姿の青年である。まるで、平安時代にタイムトリップしたような。
彼は、陽だまりでまどろむ猫のようにあくびをすると、立烏帽子の紐を解(ほど)き、天高く放り投げた。
くるくると弧を描きながら落下した立烏帽子は、彼が宿る大銀杏の枝にかろうじて引っかかった。
水干姿の青年とはもちろん、美月が出会った樹精・月待主(げっとうし)である。
彼は、まぶたをとじ、注連縄の渡された太い幹に寄りかかると、耳をあて、地中深くはりめぐされた根が、力強く水を吸い上げる幸福な音を聞いていた。
銀杏は、雄株、雌株ともに芽吹きの季節に花を咲かせる。したがって、今がもっとも彼の力が強大になる季節。機嫌もよくなろうというものである。
しかし。
月待主は、耳をぴくりとさせ、目を見開いた。胡坐座りのまま、西の空をゆっくりと見つめる。
ピチュ ピチュ・・・・・・。
そこへ一羽のスズメが舞い降りる。
スズメはしばらく、樹精の頭上を飛んでいたが、彼が己の存在に気づかないと知ると、くちばしで緑の髪をひっぱりはじめた。
「なんだ・・・・・・・?」
ようやく不機嫌な声が返る。
ピチュ ピチュ ピチュ ピチュッ ・・・・・・・。
スズメは忍(おし)の森深くに住む、同胞からの便りを運んでいた。
月待主の、端正だが、気難しげな顔がいっそうしかめられる。
スズメが運んだ便りは、長く人間とともに暮した樹精にとっても、国津神(くにつかみ)の裔(すえ)といわれる彼にとっても、歓迎せざるものであった。
*
目の前にいる君が少し輝き
周りが見えない
私達はどこにいるの・・・・・・
「Eternally」 宇多田ヒカル。
R&Bというには、少しセンチメンタル。
この曲を目覚ましアラームに選んだのは、間違いだったかもしれない。
あたしは両親が結婚祝いに買ったマンションにひとりで住んでいる。
母は二歳の時に事故で亡くなり、父は十歳の頃からほとんど帰ってこない。
頬に触れる布団の温もりが心地よくて。
このまま学校へ行かなくてもいいじゃないか、自分に関心を抱いてくれる人間はいないのだから。ここで丸まっていたい誘惑に駆られる。
でも、誰も気にしてくれないからこそ、自分だけは。
あたしは誘惑を断ち切るために、大きく伸びをした。
ベッドから出ると、素足にフローリングの感触がここちよい。スリッパが嫌いなあたしは、裸足でぺたぺたと歩いて、リビングの重たいカーテンを勢いよく開いた。
いきなりの光の洪水。
まぶたを閉じて、もう一度伸び。
目を開けると、ピンクのかたまりがとびこんでくる。
桜。ここは桜の名所が多い街。
今日、学園の行事で行く古墳記念公園も、忍(おし)城(じょう)も。
あたしは、はっとしてピンクのかたまりに目をこらす。
まちがいなく忍城のあたりだ。
忍城には、冬の初め、出会った樹精の宿る大銀杏が存在する。
けれど、銀杏の小さく折りたたまれたような葉がイエローからグリーンに変っても、彼の姿を見つけることができなかった。
あたしは、景色をさえぎるように、レースのカーテンを閉じていった。
「お腹空いたぁ!」
大股でキッチンに向かい、オーブントースターに厚切りの食パンを放り込む。
もう、外は見ない。
あたしは、幾度も枕を涙で濡らしてから、自分をかえりみない人間のことで思いわずらったりしないと決めたのだ。それが生きていくコツ。
なぜなら、どんなに寂しさに泣き叫ぼうと、父母は帰ってこない。
それに、父親に見捨てられたと恨んだところで、いったいなんになるだろう。いっそう惨めになるだけだ。
リビングのソファに座って、液晶テレビのスイッチをONにする。
すぐに見慣れた猿顔のおじさんが映る。
影武者がいるのではないかといわれるほど露出の多いおじさん司会者は、いつテレビをつけてもモニターから現れる。あたしは、おかしくもないのに、彼につられて笑っていた。
あたしにとって日常とは、可もなく不可もなく流れていくもの。
このときまでは、確かにそうだった。
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